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2018年07月21日(土) 

 

 

 

>人間が社会生活を送る上で、周りの環境や人間にある程度合わせることは大切なことです。>ですがそれも度を過ぎると、今度は自分の意見や気持ちがなくなってしまうことにもなりかねません。

 

そうですね。日本人には意思 (will) がない。意思は未来時制の文章内容ですが、時制 (tense) というものは英文法にはあっても、日本語文法にはない。だから、日本人には意思がない。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思のない人には方法がなく、仕方がないので無為無策でいる。没個性的ですね。

 

>この「自分の気持ちを抑えてでも人に合わせる」ことを迎合(げいごう)と言います。>辞書には次のように表記されています。>自分の考えをまげても、他人の意に従って気に入られるようにすること。

 

自主性がない人のことですね。没個性では、仕方がないですね。

 

>人に合わせるという意味では同様の言葉である協調性は必要なものとしても、迎合は必ずしも必要なものではないと思います。

 

そうですね。自主的な協調性が必要ですね。

 

>迎合ありきで成り立っている関係性は見なおす必要があるでしょう。

 

そうですね。見直す必要がありますね。できると良いですね。

 

>■世渡り上手≒迎合?

>迎合の類義語としては、八方美人、イエスマン、ご機嫌取りをする、太鼓持ちをするetc… >といったものがあるようです。>つまりこれまでの常識として、サラリーマン生活をうまく生き抜いていくためには必要なことでもあるだろうし、実際に世渡り上手と呼ばれる人の中にはこれらの特性を持っている人も多いことでしょう。

 

そうですね。無哲学 (非現実)・能天気の国民は、処世術 (現実) に頼るしかありませんからね。

 

>ですが時に迎合は自分を苦しめることにもなります。

 

そうですね。処世術に徹する人間には、浪花節がつきものですね。

 

>周りの人間がみんな思いやりがあって協力してやっていこうという前提であれば、迎合することに何も問題はないです。>ただ、迎合する人を利用してやろうという存在がいた場合は別です。

 

ただの ‘花咲じじい’ は犠牲になりますね。

 

>あなたが合わせてくれるのを良いことに、都合良く扱ってくる人間は社会に一定数存在します。>もしそういった人間に出くわした場合、あなたは相手の要求を飲んでいく内に、どんどん自分の気持ちを押しころすことになっていくでしょう。

 

それは、没個性の日本人の生活ですね。

 

>迎合する人というのは、温厚で争いを嫌うやさしい人間が多いです。>人に嫌われたくないという気持ちも人一倍強く持っているはずです。

 

自己主張がないから、忖度 (推察) を働かして温厚でいるしかありません。

 

>その穏やかな性格の元、あなたがいくら良好な人間関係を保つためにガマンを繰り返したところで、相手にとっては都合の良い存在の一人に過ぎません。

 

そうですね。もっともです。

 

>都合の良い存在というのは、たしかに嫌われることはありません。が、尊重されることもないのです。

 

米国と日本の関係のようなものですね。

 

>自分を押しころしてまで合わせた結果がそんなザマなら、迎合なんてしない方が良いと思いませんか?

 

そうですね。それができると良いですね。

 

 

>■「迎合しない=敵対」ではない仲間, 迎合しない人

>迎合をやめるというと、相手に合わせる気がまったくないという意味で自分勝手な印象を抱いてしまうかもしれません。

 

そうですね。自主・独立ですね。

 

>また、自分に合わせない人のことを敵対視する人も中にはいるかもしれませんね。>でも僕は、相手の考えに合わせないということは、相手を否定することではないと思います。

 

そうですね。誤解しないでもらいたいですね。

 

>人の思想や価値観は多様で、自分は自分の考えを尊重していいし、相手の考えも尊重して理解すれば良いと思っています。

 

そうですね。

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。

矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを表している。だから、正しい考えは、唯一ではない。多数ある。

矛盾を含む考えは、その矛盾を取り除けば正しい考えになる。

 

>一旦は受け入れて、良い所は取り入れていく。シンプルにそれで良い。>ところが世の中には「合わせない=否定された」と考える人がけっこうな割合でいます。

 

そうですね。自己中心的な逆恨みによるものですね。

 

>物事を0か100、敵か味方かでしか判断できないのかもしれません。>迎合しないという選択をする場合、こういった人たちには理解されないかもしれないということも覚えておかなくてはなりません。>…でもよく考えてみてください。>迎合をやめた時に、途端に相手の態度や様子が変わるということは、都合良く合わせていたあなたを見ているだけで、本当のあなたを見ているわけではなかったということです。

 

そうですね。

 

>そんな100均に売ってる半紙みたいなペラッペラの関係になんの意味がありますか? >そんな茶番を維持するために心と時間を浪費するのはもったいないですよ。

 

それよりほかに ‘心と時間’ の使い道がないのではありませんか。

 

>本来の自分を出していって、それでも続く人間関係こそ大切にしていけば良いのです。

 

そうですね。本当の自分が出せると良いですね。

 

>最低限の協調性を保つことは大切ですが、自分を抑えてまで相手に合わせる必要はありません。というわけで… >もっと気楽に行こうぜ〜(`・ω・´) ってことで締めときます。 

 

‘あるべき姿’ (things as they should be) に関する話し合いが益々必要ですね。さすれば、’あるべき姿’ に関する建設的な話し合いも可能になります。

 

 

 

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閲覧数486 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/07/21 12:19
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