(略) >創立者が1932年に書いた文章の中で「学校 [自由学園] は単に社会に人材を送り出すところであるという思いに変えて、教育は新社会をつくるという信念を打ち建ててゆきたい」と言っている。
そうですね。’あるべき姿’ を実現する未来社会の建設が必要ですね。
>つまり今の社会の課題や問いにチャレンジする人を送り出すという考えのもと、こうありたいという社会、新しい社会をつくる人を学校が育てる。
自由学園が、未来社会の建設者を育てるのですね。
>では、そのためにどうするのか。>自由学園では競争社会ではなく「協力社会」をつくる人を育てるために、学校自体を、協力を実践する場にしたいと考えています。
そうですね。序列形成の為の順位争いは良くないですね。未来社会の建設には、ぜひとも協力が必要ですね。
>管理や主従関係ではない関係の社会をつくるための自治社会の実践。
主従関係は、責任に関する上下関係ではないですからね。とかく、この世は無責任となっています。
>自分たちの代表を自分たちで選び、自分たちのことは自分たちでする。>生徒自身の手にできる限り学校づくりを委ねたい。>その土台にあるのは生徒たちに対する信頼です。
そうですね。新しい社会の建設ですね。’民信無くば立たず’ ですね。
>学校で子どもたちに競争をさせ、輪切りにして、評価して、道徳で型にはめて、ってやっていけば自ずとその次の社会もそうなっていくでしょう。>そうではない社会をつくるために学校が良いモデルにならなければいけないし、新しい社会をつくっていく実験場にならないといけない。>それが、自由学園の実践でありチャレンジでもあります。
自由学園が、わが国の先駆けですね。
>■迷惑をかけあって弱さを抱え込んでもいい。
何事もお互い様ですからね。
>その先にあるつながりの価値に気づくこと。
協力の価値ですね。
>(中略) >高橋さん 学校が生活まで持っている教育ってあまりないんですよね。
長期キャンプ生活のようなものですかね。
>「生活即教育」の中には素の自分を見せなくてはいけなかったり、迷惑をかけたり、かけられたりしながら、暮らすという意味もあります。
教えられたり、教えたりですね。
>いかしあうっていうことは、補い助けあう、支えあうっていうことですよね。
人間は、お互いに助け合って生きてゆくものですね。
>だから決して完成ということはありません。
人間は、どこまでも進歩しますね。
>(中略) >高橋さん ここで数ヶ月生活を送ったことで、一方的に受けるのではなく、する立場になって初めて、いつも自分がしてもらっていたことのありがたさがわかったんですね。>すると、日常的な感謝もいろんな方面に生まれる。
何事も体験が大切ですね。
>先ほどの委員にしても選ばれた人、やりたい人がやるんじゃなくて全員がこの社会を支えるために小さな責任を担うっていうことが、「他人事じゃない」という主体意識、当事者意識を生むんですよね。
当番制で行うのですね。
>「生活即教育」とともに理念の柱となっているのが「自労自治」という言葉ですが、これは、学校の仕組みにおいても、自治という前に自労があるということです。>誰かに何かをやってもらいながら権利は主張する自治ではなくて、自分たちで労する自治なんですね。
自給自足の生活ですね。
>これは辞書に載っていない自由学園のオリジナルな言葉です。
確かに、そうですね。
>(中略)
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