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2019年04月18日(木) 

 

>リーダー育成事業などを営む会社「青山社中」を立ち上げた朝比奈一郎氏によると、志の形成は学生時代の過ごし方に大きく影響するとのことです。

> 以下引用サイト

>リンク

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>朝比奈 

>志をどう捉えるかは、様々な見方があると思います。

 

志とは、意思のことではありませんか。

 

>私自身の経験で言うと、志があって全てが決まってくるというくらいに志はなくてはならないものです。

 

そうですね。しかし、日本人には、意思がない。

意思 (will) は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。

日本人は、優柔不断・意志薄弱に見える。この欠点を補うために、昔から日本人は精神修養をした。武芸の稽古を通して動作を機敏にすることはできたが、リーズン (理性・理由・適当) を持った判断力のある人間を作ることはできなかった。だから、精神主義の我が国は、先の大戦に敗れた。

 

>例えば就活をしていて就職先を決める時、自分が人生で何を成し遂げたいか、それを成し遂げるためにこういうスキルをつけたい、だからこういうところで働きたい――と考える。

>そのもとになるのが「志」だと思います。

 

日本人には、世界観がない。

時制のある文章内容は、独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) を表現できます。世界の枠組みが存在すれば、自然とその内容を考えるようになります。ですから、人間は ‘考える人’ になります。未来の世界には、自分の ‘あるべき姿’ の内容を描くことができます。ですから、それを説明することもできます。英文法には時制があり、日本語文法にはありません。

時制の無い言語を使う人は、自分の ‘あるべき姿’ の内容を表現できないので、理想の世界は想定外になっています。自分の住みたい世界を描いて見せることができない境遇は、実に残念であります。そして、日本人は、思考停止の状態にとどまっているので、無哲学・能天気の人間ばかりが出てきます。かれらは、建設的ではない退屈男・退屈女の生活を送っています。

 

>別の言葉で言うと「想い」。>想いや志が無いと何も判断、決断できないというのが私の仮説です。

 

そうですね。同感です。意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way.

 

>志がない中で例えば就職先を決めようとすると、給料の良さなど客観的、定量的に判断できる要素で合理主義的に判断をしてしまうでしょう。

 

そうですね。処世術 (現実) の中にうずもれてしまいますね。現実に囲まれて、逃げ道がない。

 

>合理的に考えれば、ベンチャー企業に行くような判断はできません。>でも、自分に志があり、それを達成したいと考えるなら、そうした選択肢も出てくるわけです。

 

そうですね。言語に時制があれば、未来の内容が自由に描けて、夢と希望のある生活が送れますね。

 

>志のきっかけとなる想いをどう作るかが、志を持つためには大事ですね。

 

日本語と英語の両言語を学んで、時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。さすれば、自分の世界観を公に掲げてその実現にはっきりした意思を示すことも可能になりますね。人々から信頼され、理想の世界の実現に幅広い協力が得られることでしょう。

今のところは、わが国は ‘つかみどころのない人間’ の住む ‘つかみどころのない国’ ですけれどもね。

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)

 

(略)

 

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数572 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/04/18 13:21
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