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2019年04月23日(火) 

 

 

>>なぜ学者やマスコミや官僚は、生命力を失い形骸となったそれらの観念にしがみついているのでしょうか? <<

 

それはわが国に、上々に教えを乞う下々がいるからでしょう。

 

>>それは彼らが、それらの観念を売り物にして現代の神官としての特権的な身分を手に入れた特権階級だからに他なりません。<<

 

わが国は、序列社会の国ですからね。上々には上々としての仕事があります。

 

>貧困の消滅によって、序列原理→共認原理の時代に転換した。>そこでは、みんなの共認内容が全て。

 

広く大衆が知識を共有する時代になりましたね。それ自体には、問題がないでしょう。

 

>しかし、その部分を一方的に発信する機会を独占しているため、学者やマスコミは、人類にとって役に立たない共認内容で支配を図り、現代の神官足り得ている。

 

わが国は、個人に自己の発想がない社会ですら、現代の神官が必要な内内容を下々に教え込む必要がありますね。

 

>そして、そのことが、社会の全面閉塞状況を生んでいる。

 

意思のないところには、方法 (仕方) がない。日本人には、意思がない。仕方がないから、無為無策でいる。これが、社会の全面閉塞状態ですね。

意思 (will) は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語脳裏には未来時制は存在せず、日本人には意思がない。

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。

矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを示している。だから、正しい考えは、唯一ではない。幾らでもある。人さまざまである。

矛盾を含んでいる文章も、その矛盾を取り除けば、正しい考えになる。対話や議論が、矛盾を除去するために役に立つ。

 

>とすれば、まず、その役に立たない共認内容=旧観念(近代思想)は、事実に基づかない欺瞞観念であることを発信し、引導を渡して行くことが、我々、一般の人々に求められることであり、共認時代の幕開け、本格的共認闘争のスタート地点に立ったと言えるのではないでしょうか。

 

現実の内容は、頭の外にある。見ることができる。見ればわかる。唯一の正解が存在する。考える必要はない。

非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。見ることができない。その内容を理解する為には、その文章を理解することが必要である。

時制は、英文法にあって、日本語文法にない。だから、英米人には、人さまざまな考えがある。世界観となっている。個性的である。思考を停止している日本人には、教えられた考えしかない。だから、没個性的である。無哲学・能天気の民にとっては、哲学は欺瞞観念になっている。

我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、自分自身の考えを文章にして示す必要がある。さすれば、英米人を説得することも可能である。国際社会での貢献も盛んになるに違いありません。

 

 

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閲覧数327 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/04/23 01:02
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