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2019年04月24日(水) 

 

 

>(前略)

>◆統合者の消耗品としての人材育成

>るいネットでも明らかになっているように、現在日本の学校教育スタイルは軍隊をモデルした、厳格な規則と罰則により生徒を縛りつけ序列原理や指揮系統に従順で素直な画一的な人材を育成するための組織人材育成法である。

 

そうですね。アニマルの調教のようなものですね。

 

>義務を課し、耐えることを当たり前のように強いることを受け入れさせる。(究極の姿はオクニの為に命を捧げた日本軍の神風特攻隊や人間魚雷回天の若き搭乗員たちかもしれない。)

 

ぬちだ宝 (命は宝) には説得力がなかった。恣意 (私意・我儘・身勝手) を鍛えて、意地・根性・大和魂とする。ご都合主義でしたね。

 

 明治以降、戦時中から戦後を経てもこの日本の教育スタイルは一貫として変わらず、貧困の消滅と共に生産体である企業の序列原理が崩壊した現在でも、やみくもに暗記脳による子供の思考停止と活力衰弱のみを引き起こし続けている。

 

思考停止の対策として暗記脳の活用が採用されたのでしょう。暗記力は、序列順位の争いに利用されていますね。

 

>現在の学校教育が軍隊をモデルにした統合原理であり教育法であるならば、軍隊組織と同様に生徒は消耗品としての従順な兵士=優秀な歯車の大量生産が目的であり、一部の不良品や故障品は廃棄・交換すればよいという、人を人とも思わぬスタンスが義務教育の根底に垣間見えるのも頷ける。

 

そうですね。個人主義がない。人間性の欠如ですね。

 

>すなわち極論すれば、いわゆる国家や組織統合者の交換・補充可能な「消耗品として都合の良い人材」を大量生産するための教育こそが講義型一斉授業である。

 

そうですね。わが国が人手不足の対策として、外国人労働者を受け入れるときの動機のようなものですね。

 

>★翻って、子どもたちの活力を上昇させ追求力を高めるといわれる『学び合い』学習法とは如何なるものか?

>◆共同体を維持するために循環し続ける人材育成 >根本的に異なるのは人材育成の立脚点だろう。 >国や組織の統合者といった序列統合から生み出されたものではない。

 

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。’上とみるか・下とみるか’ の世俗的な判断がなければ、日本語の上達は期待できないですね。’人を見損なってはいけない’ という想いから、序列観念は強迫観念の域に渇しています。

 

>しかも『学び合い』自体は、日本に於いては決して新しい人材育成の在り方ではないと見るべきである。>(西川氏自身は潜在思念と持ち前の本源性で辿り着いたと思われる)。>本質的・構造的には、明治以前では日本中の村落共同体や江戸時代の地域共同体、寺子屋等で行われていた日本の教育のスタイルと同様・同質である。>『学び合い』学習法の立脚点は潜在的には集団(=共同体)の存続適応にある。

 

‘学び合い’ は、持続可能な村落共同体の経営法ですね。

 

>現代の人工集団と異なり、本源集団=共同体はほぼ全員が一生をその集団で終える。>だからこそ共同体に於いては人材が全てであり、赤子から老人、男女、例え病人や障害者であっても全てが集団の宝となる。>すなわち集団を構成する成員全ての能力を活かした役割=評価=充足を生み出し、集団能力を高め、共同体を何百年・何千年と存続適応させ続ける為の追求=無限循環育成こそが、その根幹にある。

 

そうですね。持続可能な教育方針ですね。日本人には世界観がないから、発想がいつも内向き姿勢ですね。

 

>したがって、その方法論は全ての場に於いて肯定性と充足感に貫かれている。>能力や評価の上昇は、現代のように個人に帰結するものではなく、集団の充足という地平に貫かれていた。

 

個人主義は、存在しないのですか。

 

>したがって、現代の学校クラスがストレス発散の為、カーストをつくり底辺人材を否定視=イジメを行うのとは真逆に、一番できない子が肯定視=充足対象となり、みんなの可能性となり、本人を含めた集団充足・集団活力を生み出すことになる。>共同体の神童とは現在でいういわゆる天才児ではなく、逆に知的障害などを持つような童を指していた。>(例えば頭は弱いが感覚が鋭敏で、誰も感じないような微細な自然や気象の変化・集団の危機をキャッチする。その異能を集団から認められ、センサーとして集団防衛上の重要な役割を与えられていたのだという。)>どんな差異のある仲間にも可能性を見出し、集団適応の戦力とする追求力こそが本源集団の力だった。

 

個性の尊重ですね。それにしても、個人のリーズン (理性・理由・適当) は、認められないですか。

 

>したがって『学び合い』学習とは、(生産や生殖と切り離された特殊空間や学習指導要綱の枠組みの中ではあるが)潜在的可能性として充足性・全肯定性=一体化充足を軸とする、個体差のある個々人の能力を各々最大限に引き出す、共同体本源集団本来の人材育成システムの一部を、現代に継承しようとするものであろうと云える。

 

そうですね。個人の能力を最大限に引き出すことは必要ですね。

 

 

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閲覧数25 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/04/24 15:29
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