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2019年06月21日(金) 

 

 

>・市場と都市を拡大して高度成長に邁進した昭和30年代は、義務教育を終えた若者が、東京や大阪などへと集団就職を機会に集中した。>嘗て中学生のころ、私達の学年も半数近い仲間が都市へ、市場へと送りされ移り住んでいった。

 

金の卵が大勢居ましたね。

 

>生まれ育った郷土を離れて都会や市場へと移り住んでいく友人を、駅頭で見送るのは言い難い思いが残った。

 

たれか故郷を想わざる。

 

>・それまでの日本は、義務教育を修了した若者は村落共同体や地域社会の家業や職場で仕事を覚え戦力となっていった。>地域社会を担い、生産活動の担い手となって大人になっていった。

 

そうでしたね。田舎は田舎、都会は都会の暮らしでしたね。

 

> 生まれ育った共同体社会をリセットして、私権序列がものをいう権力体企業に若者達が送り出されてしまうのは、本来は尋常なことではない。

 

そうですね。序列人間の悲哀ですね。

 

>・老人の無謀運転や若者から中高年までの引きこもり、そして歪みを引きづって籠り部屋を抜け出した暗黒の復讐事件、いずれも共同体を破壊した市場化や都市化が出所の暗い事件である

 

そうですね。暗い事件もありますね。

 

> ・旧観念支配が役割を失い、それを教えてきた学校制度も終わる。>学校は子供たちの潜在思念を封鎖させ、権力行使による子供の家畜化と飼いならしの機関でしかない。

 

社畜・家畜が沢山出来ましたね。

 

>早く社会に出たほうが解放される、成長できるという時代になった。

 

無意味な序列競争に時間を費やす必要のないことに気が付いた。

 

> 貧困の圧力が日本社会を覆いつくした私権時代は、私権序列で各体制は統合された。

 

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。だから、’上と見るか・下と見るか’ の判断は常に欠かせない。世俗の上下判断に疎い者は、日本語も満足には話せない。

日本人の礼儀作法も序列作法になっている。世俗の上下判断に疎い者は、礼儀正しい日本人にはなれない。人を見損なってはいけないと言う想いが高じて、強迫観念の域にまで達している。

 

>だから東大を頂点とした学歴社会が産/官/学でははびこった。>それが大蔵省であり住友/三菱銀行/東電である。

 

日本人は、序列を作って生活している。だから、日本の国体の本質は天皇を頂点とした序列である。序列の中に自己の位置を見つけて、各々が帰属意識を満足させている。

 

>私権序列で統合した体制だから高学歴を求めて、受験勉強の果てに大学を目指しただけだ。

 

そうですね。立身出世ですね。序列順位の昇進は処世術の根本をなしていますね。

 

>・プロ野球の世界でも読売巨人は6大学出の選手から監督を選ぶなど、本来実力主義のプロ野球界ですら学歴社会に取り込まれていた。>だから巨人の経営効率は最低だ。

 

そうですね。きっと日本語の魔法にかけられているのでしょう。序列順位の価値は、誰に教えられるということもなく、日本人の脳裏に深く浸み込んでいるのでしょう。

 

>今や野球界も10代の素質をいかに育て上げるか、この育成能力が球団の戦力を引き上げていくことになる。

 

そうですね。個性を伸ばすことが教育の目的ですね。

 

>学歴不要論は企業社会の新たな兆候だが、鎬を削る企業ではもっと鮮明にあらわれる。

 

金儲けの学歴というものは無いものでしょうか。

 

> 百万円/年の授業料を払って4年間/ロクに授業にも出ず、アルバイト仕事に精を出す、そして追求力を失ってバカになる。

 

そうですね。現実の内容は、頭の外にある。それは、見ることができる。見ればわかる。考える必要は無い。だから、楽ちんである。退屈男・退屈女が輩出する。

 

>こんな二十歳は何の意味も持たない。 

 

きっと日本語の魔法にかけられているのでしょう。

 

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数507 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/06/21 14:23
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