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2019年07月08日(月) 

 

 

 

(略)

> 日本の中で信仰の話をするのは極めて難しい。>それだけ日本はセキュラリズムに侵されているといっていい。

 

そうですね。現実主義万能ですね。

 

>まがりなりにも神の存在を認めてきた西洋のほうがセキュラリズムからの脱却の余地があるのかもしれない。

 

そうですね。非現実の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話である。話の内容を理解するためには、その文章を理解しなくてはならない。これは、骨の折れることである。だから、日本人はやらない。忖度 (推察) に切り替えて事を処している。理解と忖度は、似て非なるものである。理解は、話し手が基準になる。忖度は、聞き手が基準になる。

 

>日本の場合は前編に記したように来世や神に関わる多くの霊的な概念を皇室神道に結び付けて玉砕した経緯があり、人々は「神」を否定をしないまでもそれを「自然」や「宇宙」と呼んでみたり、「心のよりどころ」などと定義してみたり、また地球外生命体に人類の救済を求めてみたり、とにかく直接認めたがらない。

 

印欧語のように文法に時制 (tense) というものがあれば、非現実 (考え) の独立した三世界 (前世・現世・来世) を文章内容として表すことが可能になる。全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。だが、日本語の文法には、時制というものがない。だから、非現実 (考え) の内容は、日本語の文章にはならない。そして、日本人は、無哲学・能天気の状態でいる。

 

>そこには歴史上で宗教戦争を繰り返してきた一神教に対する抵抗、暴利をむさぼる宗教団体への嫌悪、複雑になりすぎ解釈不可となった仏教からの逃避などさまざまな影響が垣間見れるが、いずれにしてもセキュラリズムが現世の周りに築いた塀があまりに高く、日本が「神」を直に見つめることが出来なくなったことに負う。

 

日本語は、’今・ここ’ に根差した言語である。時制のある文章によって表現される非現実の世界とは、縁のない言語である。だから、日本人が神を考えるときは、非現実 (考え) の神ではなく、現実の中に存在する実物の神 (現人神) になる。これなら、日本人も信じることができる。この神は、見ればわかる。わかりやすい。

 

>我々がその塀の中でいくつもの手製の神を弄んでいることにもう気づかねばならない。

 

日本人が ‘手製の神’ に気が付いても、言語の壁を破ることは難しいでしょうね。我々は、使用言語の変更を決断する必要があるのではないでしうか。

 

> 現世の中に閉じこもっていたのではその現世すら見えなくなるだろう。

 

そうですね。日本人は、今が現世であることに気づくこともむずしいでしょうね。

 

>井の中の蛙が井戸とは何かを知らないのと同様、孫悟空が釈迦の掌の上を得意に駆け回っていたのと同様である。> 生きているうちに現世から出ることは無理だが、現世のしがらみから意識を解き放ち現世を見つめなおすことは可能である。

 

そうですね。それには、前世・現世・来世の内容を考えればよい。

 

> 生を受けて魂が宿ったその肉体が朽ちるまでの数十年の時、それが人ひとりにとっての現世である。>国家が興り滅びるまでの一時代、それが一つの国の現世である。

>人が人としての営みを始めやがて地上から消滅するまでの間、それが人類のための現世である。>ビッグバンに始まる時空の拡張が終結し、そしてもとの一点に再び集束するまでの時間、それが宇宙の現世である。>つまり、意識が肉体や国や地球という媒体に宿ることで生まれる時を現世といい、その媒体が滅びるとともに必ず終わる刹那なるものである。>現世での時を終えた人の魂は来世に迎えられ、来世での行き先が天国か地獄かは現世での行いが秤にかけられ裁かれる―多くの信仰で説かれるこのことを拒むかぎり、時が尽き果てるまでセキュラリズムに操られ続ける。

 

そうですね。現世主義から逃れるためには、三世界の考えが必要ですね。三世界の内容を展開させるためには、時制のある文章が必要ですね。言語の問題にどう対処するのかが根本の問題ですね。

 

>セキュラリズムの語源saeculumの原義はやはり「時間」である。>そして来世、そこでは時は流れない。

 

来世も現世も来世も時は流れない。それは、非現実 (考え) だからである。されど、現実界は千変万化する。として、日本人は、流されている。だが、何処にも移動しない。ただ、現実にとどまるしかない。

 

>日本の先祖はそれを常世(とこよ)と呼んで知っていた。>時の流れがないことは「永遠」を意味する。

 

日本人は、千変万化する世の中で、永遠への想いを馳せる心境を求めている。

 

> 大海への通い路を絶たれた入り江の如く、来世から切り離された現世は淀み、穢れ、毒を放つ。>その毒が時につれ濃さを増しこの酷すぎる現代に至った。

 

そうですね。理想 (来世) から切り離された人間の精神は腐ります。

 

>これはひとえに「カエサルの物はカエサルに、神の物は神に納めよ」として現世の善悪を現世の法で裁いてきたセキュラリズムの結果である。

 

そうですね。野球のゲームをしているのと同じことですね。画期的な進歩が無い。

 

>現世に生まれた事象の善悪の判断を、同じく現世生まれの科学と理論に頼っていては遠からず己の毒に毒されることになる。

 

そうですね。我々の求めている人間性が阻害されていますね。

 

>カエサルのものは神に還されなければならない。

 

そうですね。我々の現実は未来 (非現実) への足掛かりとしなくてはならない。これが、我々の進歩です。

 

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以上です。 

 

 

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閲覧数7 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/07/08 06:21
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