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2020年02月17日(月) 

 

 

 

 

>・そのためには、「個人」として判断するのをやめる。個人の為ではなく、自らの属する複数のコミュニティの利益を考えて意思決定するのがうまくいく。

 

お言葉ですが、個人としての判断が大切ですね。個人が育たないと、有能な指導者も現れません。考えは個人個人でちがっているから社会の意思決定ができません。全てを多数決で決議していては、筋の通った政治はできません。

日本人には意思がないから、意思決定 (理性判断) はできない。その代わりに恣意 (私意・我儘・身勝手) があるから、恣意決定 (盲目の判断) をする。序列社会であっても、責任の序列は存在しない。個人の意思の序列が存在しない。これが非常に危険である。国運を左右しかねない。

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り) 

 

>◇ワークライフバランスからワークアズライフへ

> ・日本は西洋の様に、「ワーク」と「ライフ」を二分法で分けること自体が文化的に向いていない。>・日本人は生活と仕事が一体化した「ワークアズライフ」の方が向いている。 

 

昔の仕事は家事のようなものでしたね。

 

>・日本人は、古来、生活の一部として仕事をしていた。 >百姓という言葉は、農耕主体の社会において100の細かい別々の仕事をしているという意味。 >・東洋的には、ずっと仕事の中にいながら生きている、そしてそれがストレスなく生活と一致しているのが美しい。

 

百姓は金の為に仕事をしていたのではないでしょう。自己の生活のために農作業をしていた。だからストレスがなかったのでしょう。

 

>・明治の時にいきなり西洋化したのだから、現代でいきなり東洋化してもよい。

 

それは、一等国から四等国に急落するようなものでしょうかね。

 

>・今の日本は東洋化した方が、イノベーションがより起きやすくなるはず。

 

それでは小手先の修復に終始することになるでしょうね。未来社会の建設の方向に向いていない。

 

>日本人は個人としては異端になりにくいですが、集団として異端になるのは得意。

 

赤信号 みんなで渡れば怖くない。いつも大衆が頼みですから、付和雷同になるのかな。意思を明確にすることが難しい。                                                                                                       

 

>◇わかりやすさの対局にある東洋思想

>・現代の幸福観においては、昭和期に日本は西洋の影響を大きく受けている。(略)  >・東洋思想への理解がないと、「我々は幸福であるべきか」といったコアの無い議論にはまってしまう。

 

論外な議論ですね。’自明の理’ (self-evident truth) というものを知らない人の議論です。

 

>◇日本というブロックチェーン的な国家

>・明治以来の西洋的国民国家による中央集権体制は日本には向いていない。

 

日本には、政治の中核がないですね。困ったことです。

 

>・もともと日本というのは、自然発生的な統治機構の更新が起こり、そして、一度集権してグランドデザインを行い、官僚主義的な運営とともに、たいてい非中央集権型社会型の安定状態をつくってきた。

 

 カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎>の中の <とらえどころのない国家> で、次の段落のように述べています。

国会両院以外に、国家の中核として権力を持っているらしく見える組織は、官僚と大企業である。だが、この両者のどちらにも、究極的な権力はない。ボスはたくさんいるが、ボス中のボスといえる存在はないし、他を統率するだけの支配力のあるボス集団があるわけでもない。首都が国の経済、文化の中心だという意味では、日本は高度に中央集中型の国と言える。(続く)

 

 

 

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閲覧数19 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2020/02/17 05:47
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