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2020年05月09日(土) 

 

>356372 江戸っ子は、なぜ”宵越しのカネ”を持たなくなったのか?~本音で生きる開放の時代へ~②  >山本紀克 ( 31 会社員 )  20/05/06 PM10 【印刷用へ】 

>コロナを受けてこれまでの当たり前が崩壊しました。>つまり東日本大震災では潜在的な欠乏だった「これからどう生きるか?」がより自分事として顕在化したのが今なのでしょう。> 「人生そのものに想いを馳せる」。>どう生きるか、どう働くか?そしてこれからの社会をどうつくっていくか? 

 

そうですね。我々は ‘考える人’ (the thinking man) になる必要がありますね。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.

 

> 自らが本能・共認次元で感じる思いを観念で蓋することなく「本音で生きる開放の時代」になるということなのです。

 

本音の定義にもよりますが、本音で生きるのは難しいでしようね。

 

 > 前投稿の続きです。リンクより >----------------------------------------------------------------

(略)

>■みんな「本音で生きる」ようになるかもしれない。

 

本音で生きることは難しいでしょうね。本音は恣意 (私意・我儘・身勝手) でしょう。恣意の自由は何処の国でも認められていませんね。恣意の自由は、’自由のはき違え’ となります。ですから、’不自由を常と思えば不足なし’ となるでしょう。

 

> (略)

>その変化の一つとして、「我慢していた」多くのことからの「開放」のきっかけにはなるかもしれません。

 

それは我慢の内容にもよるでしょうね。

 

> 近年、ジェンダーに関する議論や様々なハラスメントなどに対する声が上がるような社会になり、理不尽さを「我慢」することをやめる機運が生まれて来ています。

 

我々にリーズン (理性・理由・適当) は必要ですね。リーズナブル (理由になる) なことは認められるでしょう。アンリーズナブル (理不尽) なことは認められないでしょう。

 

>なので余計に今回の事態は、働き方や生活で知らず知らず感じてきた「我慢」も浮き彫りにする可能性があります。

 

それはありますね。

 

> 嫌なことは嫌と言い、社会や強者への「忖度」を仕方ないとする雰囲気から、「結局は本音で生きなきゃ」という感覚は、多くの人が強く持つようになるでしょう。

 

我々は、建前 (言い訳・口実) と本音 (恣意) の生活から脱する必要がありますね。だが、これは日本人には難しい。日本語は、現実の世界しか考えさせない言語ですから。ナウな感じのする話ばかりをしているようでは望み薄ですね。

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)

‘あるべき姿’ (things as they should be) の内容 (非現実) と、’今ある姿’ (things as they are) の内容 (現実) を並べて論じられるようになれば、世界の人々は注目しますね。人類の進歩に貢献することでしょう。

 

> (略)

>しかしこうして色々考えてみると、前述の江戸時代の例だけではなく、特に我々日本人の感覚や考え方は、もしかしたら、むしろ「災害」が当たり前の環境によって作られたものかもしれませんね。

 

そうですね。過去は幻、未来は夢。眼前の内容 (現実) しか信じることができないメンタリティ (考え方) ですね。

 

>あの東日本大震災では、「あんなひどい状況でも、パニックにならず配給に列を作る日本人」が、諸外国から称賛されました。

 

意思のあるところに方法 (仕方) がある。日本人には意思がない。それで、優柔不断・意志薄弱に見える。座して死を待つのか。

意思は未来時制の文章内容である。だが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思 (will) がない。

‘やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず'  山本五十六 (やまもと いそろく)  

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 英文法には時制がある。英米人には意思がある。英米人には方法がある。

 

>もしかしたらあれも、「災害時なのにすごい」のではなく、「元来日本人が、繰り返す災害から得た感覚」なのではないかと。

 

日本語の文法によるところが大きいでしょうね。

 

>つまり、私達の祖先が、大陸の端の島国という他に逃げにくく、しかも定期的に災害が起こる地域に住み着いたこと自体が要因で、それでもなんとか力を合わせて豊かな生活を再興してきたことが、もしかしたら遺伝子レベル(?)で記憶されているからこそ、そういう行動が自然と沸き起こるかもしれないなとまで思います。

 

わが国は、日本人に適した環境であったかもしれませんね。

 

> 安易な「日本礼賛」をするつもりはありませんが、災害が私達の思考そのものに大きく影響していることは間違いありません。

 

災害に耐えうる思考形式であったかもしれませんね。

 

>そして、その行方がまた大きく変化するタイミングに差し掛かっていることを、意識していきたいと思います。

 

能動的な思考形式に変わると良いですね。

 

> 文:ネイティブ倉重 

 

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数309 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2020/05/09 13:17
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