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2020年06月28日(日) 

 

 

>357992 コロナ禍でわかった、日本人が患う「管理されたい病」の重症度  >吉 四六 ( 会社員 )  20/06/27 PM11 

>リンク >前略)

>  自分たちのイデオロギーに合わないものを「社会全体にとって害になる」と叩いて排除するというのは、全体主義に毒された人たちに見られる典型的な症状だからだ。

 

‘人の振り見て我がふり直せ’ の掛け声ですね。

 

>  わかりやすい例が、戦前・戦時中の「娯楽統制」だ。 >  みなさんの多くは、戦争中の映画やラジオ、演劇や落語などの大衆娯楽は、軍部による厳しい検閲によって弾圧された、というイメージを持っているはずだ。 >実際、テレビドラマや小説などでも、よくそういう話が描かれている。 

 

そうですね。

 

>  しかし近年の研究では、そういう単純な構図ではないことがわかってきている。

>金子龍司氏の「『民意』による検閲―『あゝそれなのに』から見る流行歌統制の実態」(日本歴史 2014年7月号)によれば、さまざまな検閲の後押しをした可能性のある「投書階級」という人々がいたことがわかっている。 >といっても、この人々は何かの専門家ではなく、その正体は会社員、官吏、教員といった普通の市民だ。

 

大衆運動 (public movement) ですかね。

 

> 彼らはラジオから流れる曲が西洋クラシックだったりすると、「日本精神に反する」と怒りの投書をした。>流れる軍歌の歌詞が流行歌っぽいタッチのものだと、これまた「下品だ」とブチギレて投書をした。

 

感情的な反応ですね。

 

>  要するに、令和の日本で木村花さんをSNSでネチネチとイジめた人々や、CMに不倫タレントが出ていると企業にクレームを入れるような人々とそれほど変わらないことを、80年以上前の日本人もやっていたというわけである。

 

日本人は変わっていませんね。

 

> 戦時中に国家権力を動かしていた「投書階級」という人々の存在

>  事実、SNSの攻撃でCMが放映中止に追い込まれたりするのと同じで、「投書階級」の影響も凄まじいものがあった。 >1938年にラジオ局に寄せられた投書は約2万4000件で、番組編成に影響を与えたという。 >それはつまり、このような「投書階級」たちの「社会全体にとって害になる」という主張を受けて、検閲当局も動いていた可能性があるということだ。

 

それは民意の尊重ということになるのですかね。

 

>  現代人の歴史認識では、軍部が勝手に1人で暴走を始めて、国民の反対を押し切って娯楽や言論を統制していったというイメージが強いが、当時の新聞報道などを見れば、現実はそうではないことがわかる。 >  まず、言論統制される以前から、新聞やラジオというマスコミは自ら進んで戦争を煽っていた。

 

マスコミは戦争で金儲けができますからね。

 

>軍の発表を盛りに盛って、「爆弾三勇士」などの戦争美談をふれ回った。>「そうしろ」と命令されてわけではなく、愛国心を刺激するコンテンツが読者やリスナーに圧倒的にウケたからだ。

 

 ‘勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ’。 (ヘルマン・ゲーリング)

 

>  そして、 この「愛国コンテンツ」を連日のように見せられた国民が、暴走を始める。

 

ブレーキの利かない機関車のようなものでしたね。

 

>「投書階級」のように、自分たちの価値観に合わないものを「社会にとって害だ」と排除し始める。

 

封建時代の排外主義 (exclusionism) のようなものですね。

 

>たとえば、当時戦争に反対する「非国民」を一般市民が棍棒を持って追いかけ回して袋叩きにする、という事件が珍しくなかったが、それは軍部に命令されたわけではなく、市民たちが自発的に行ったことなのだ。 

 

判断力のない人たちの ‘自主・独立’ は困ったものですね。人間にはリーズン (理性・理由・適当) も無く、対話もない社会でしたからね。

 

>  こういうムードが極限まで盛り上がると、やがて国民は公権力に対して求め始める。>「日本のために秩序を乱す者たちを、もっと管理しろ」「もっと厳しく統制しろ」と――。

 

烏合の衆による大衆圧力ですね。指導者の存在しない大衆運動ですね。 

 

>  これが、日本が全体主義へのめり込んでいったプロセスである。

 

自由とは、意思の自由の事である。日本人には意思がない。意思がなければ自由にも意味がない。だから、’不自由を常と思えば不足なし’ となる。全体主義 (totalitarianisn) は個人の自由のない世界ですね。  

 

> 「陸軍のエリートが暴走した」「軍を抑えられなかった政治家が悪い」「マスコミが戦争を煽った」などといろいろ言われるが、やはり「全体」というだけあって、日本社会がおかしな方向に流れても誰も止められなかった最大の原因は「民意の暴走」にあるのだ。

 

 

.

 

 

 

 

 


閲覧数10 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2020/06/28 11:06
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