会議文化 1/2 |
>362562 日本の会議文化 >匿名希望 20/12/12 PM09 >リンク より引用しています。 >*** >◆日本の会議文化 >日本の会議は長い。 >延々と会議をします。 >これは海外の関係者にはよく知られていて、カイギという日本語がそのまま使われることすらあります。
現実肯定主義者の結論の出し方ですね。
>海外から電話などの連絡があったとき、カイギで席を外しているという説明がされることが多く、それが重なると、日本人はいつも会議をしているようだという理解と認識になるのでしょう。 >確かに会議が多い。 >何かと会議をし、関係者を集めます。 >一体、会議で何を議論しているのかと言えば、それはさまざまです。
そうですね。実況放送・現状報告の内容が公表されるのですね。
>◆さまざまな会議 >問題解決のための知恵を出すための会議もあれば、組織としての意思決定のための会議もあるでしょう。
日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。 意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
>ただ、そうした水準の高い会議は通常は少なく、多いのは関係部署の関係者の考えを揃えるための会議が多く、その延長線には集団の気持ちを一致させて、頑張ろうと気合を入れる会議もあるようです。 >実際にある会議のほとんどはそうした会議なのではないでしょうか。 >なにしろ日本人は、集団のなかにあってそこから外されることをひどく嫌い、情報の伝わらないことを恐れるのです。
‘一億一心’ への道ですね。この道はいつか来た道。ああ、そうだよ。
>だから何があっても会議となれば馳せ参じることとなります。 >会議に出なければ自分だけが情報シャットの状況になるかもしれません。
そうですね。村八分になりますね。 日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会である云うのも、序列社会の言い換えに過ぎない。 日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。 序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであるという価値観を共有している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。無哲学・能天気である事は、人々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。
>それは最悪の事態です。
非国民・外人扱いになりますね。真に大切な自己の序列の絆を失うことになります。脱藩のようなものでしょうか。
>組織の上からすれば、会議で決めた、説明した、合意したということは後々、重石となって集団の努力へとつながることが期待できます。 >逆に組織のメンバーから、それは聞いていない、説明されていないと反論されることはどうしても避けたいという組織原理が働きます。
それは太平洋戦争のようなものですね。戦争中、玉砕するまで戦い抜いた日本人を見たアメリカ人は、「日本人は間違った情報を伝えられていて、正しい情報を得ていないに違いない」と考えた。
>◆宮本常一の「対馬にて」 >日本をくまなく歩いたとされる民俗学者宮本常一の「対馬にて」を読むと、彼が対馬の北端に近い伊那の村の寄り合いを見て、経験したことが昨日のことのように描かれています。 >宮本がその村の旧家を訪ね、その老人から、村に古くから伝えられている帳箱があり、そこに区有文書が入っていることを知ったので、それを見せて欲しいと頼みました。 >その老人は自分の一存では決められないこと、ちょうど村に寄り合いがあるから、皆の意見を聞いてみるのがよいということとなったのです。 >老人の息子が寄り合いの場に出かけていき、事情を説明しました。 >朝、寄り合いの場で事情を説明し、20人ほどいる村の皆は話し合います。 >村の取り決めのこと、昔、村の旧家で御判物を貸して問題が生じたこと、これまで村の帳箱にある文書を貸したことはなかったことなど、昼になってもまだ話しているのです。
事の次第・成り行きの話が長引いていますね。
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