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2020年12月21日(月) 

 

>国家の支配構造と私権原理

>362814          「日本型人事労務管理」は、近代化以降に、日本以外の「軍隊」「お役所」でも使われていた「官僚制」をベースに発展した  >別所彦次郎          20/12/20 PM08 【印刷用へ】

>リンクより引用

>***

>~前略

>■いつ「日本型人事労務管理」は生まれたのか?

>いつ「日本型人事労務管理」は生まれたのか。 >結論から言えば、その起源は明治期の「お役所」や「軍隊」に適用された「官僚制」にあるとされる。>そして、この「官僚制」最大の特徴は「国家に対する無限の忠誠と、その対価としての終身保障」だった。

 

日本人の得意な序列社会の特質ですね。   

 

 

>たとえば当時、国に忠誠を誓った役人の給料は「地位や対面を保持するにふさわしいもの」とされ、「どれだけ価値を生んでいるか」ではなく「身分相応の地位や対面を保持できること」を基準に決まっていた。

 

役人の仕事は ’real work’ (要求に応じた仕事) ではなくて、’make work’ (不要不急の誂え仕事) ですからね。価値もあってないようなものでね。    

 

>いまの日本企業で多くみられる『仕事(どんなことができるか)』ではなく、『人(どれくらい偉いか)』でお給料が決まるしくみの原型はここにあるとされている。

 

序列メンタリティの基本概念ですね。   

 

>また「新卒一括採用」は、明治期に「お役所」が拡大していくにあたり、大学卒業者が不足していた状態を何とかするため、優秀な学生を卒業と同時に採用し始めたのがきっかけらしい。 >「年功昇進」「定期人事異動」も、同じく明治期の「お役所」において、2年ごとに部署を異動しながら昇進するという慣例が生まれたことに原点があるそうだ。 >「定年退職」も、元は体力を要求される軍人が一定の年齢になったらやめていく、という「軍隊」の慣行から来ている。 >つまり、日本の人事労務管理のしくみの多くは、明治期に「お役所」や「軍隊」に用いられていたものが民間企業にも広がり、それが今もなお使われている、ということになる。 >ちなみに、日本以外の国でも「お役所」や「軍隊」の慣行が一時的に民間企業に普及していたことはあったそうで、これは日本特有の現象でも何でもない(そもそも、日本の「官僚制」はフランスやドイツを参考にして作られている)。  

 

先進国に ‘追いつけ追い越せ’ のわが国の励みによるものということですね。  

 

>■「お国のために」生まれたしくみ

>「お役所」と「軍隊」。 >そう言われてみると、確かに「モチベーション(=忠誠心)の醸成」「(長期的な)育成」「雇用の維持(労働力の確保)」という3つのメリットがあるしくみにも合点がいく。>どちらの組織も、そもそもの存在目的が「国を守る」ことであるため、「国家」を裏切らないための「忠誠心」が必要になるだろうし、「こっちの国は嫌になったから、あっちの国のお役所・軍隊に移ろう!」ということはできないため、「育成」「雇用」は組織が責任をもって、面倒を見るしかない。>「モチベーション(=忠誠心)の醸成」「(長期的な)育成」「雇用の維持(労働力の確保)」という3つのメリットを生み出すしくみは、まさに「国家に対する無限の忠誠と、その対価としての終身保障」を前提とする組織にぴったりだった、というわけだ。

 

理屈は大人にも子供にも共通である。だから、大人と子供の対話も成立する。ところが、日本人は '理屈を言うな。理屈なら子供にでも分かる' とうそぶいて理屈を言う人を相手にしない。そして、自分たちにはもっと複雑で難しく重要な事柄があると心得ているようである。'心ここ在らざれば視れども見えず' であるから、自分たちの屁理屈に気づくことは無い。   

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるいうのも、序列社会の言い換えに過ぎない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。

序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであるという価値観を共有している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。無哲学・能天気である事は、人々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。

(2/2へ続く)

 

 

 

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閲覧数564 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2020/12/21 21:07
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