. >日本人は何事をするにも一所懸命になる性向がありますが、この「一所懸命」という言葉は「物事に命懸けで取り組む」という意味であり、物事の奥義を極めようとする生活態度です。>専門分野に従事する人々は、「日本一」になることを目標に技術の習得に励むことに人生の生き甲斐と価値を見出しています。
そうですね。序列メンタリティのなせる業ですね。その代わりに、非現実 (考え) の内容は疎かですね。
>他方で、日本人は目標を達成しようとする場合、手段・方法といったプロセスを大変重視し綿密に準備をしますが、結果については、期待通りでなかったとしても余り執着しない傾向があります。 >また、日本人は、一旦決められた計画を愚直に実行しますが、脚本やマニュアルのない場面では、臨機応変な対応は苦手です。
そうですね。 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。 私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。-----あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 ----- これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
>日本社会の体質は、何百年にわたる職人文化が形作っていると言えます。>日本の小学生に大人になったらなりたい職業について質問すると、男子は大工、女子は美容師が断然人気の高い職業です。>日本では『職業に貴賎はない』という言葉がありますが、日本社会は伝統的に技能を尊ぶ物作りの社会です。
そうですね。日本人の学問は実学 (技術)ですね。哲学 (考え) はダメですね。武将は出ても、聖人・君子は出ない。
>今年1月、いまや世界中に普及している『カップ麺』の発明者である日清食品の安藤会長が亡くなり、其の葬儀に総理経験者、政財界の要人を始め全国から数多くの弔問客が訪れましたが、今では宇宙飛行士も食べるようになった『カップ麺』を考案した職人魂を日本の社会がどれほど尊敬しているかを示す好例であるといえます。
そうですね。日本人には現実しかありませんからね。非現実の内容で優れた人はまだ出ていませんね。 非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。 自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。 意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' 対 '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。 わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。
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