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2021年02月12日(金) 

 

 

(5/7より)

>例えば、エチオピアはアフリカの中で最も古いキリスト教国で、ヨーロッパから一定の独立を保ちながら、近代化を成し遂げようとした国ですが、エチオピアが近代化に向かう過程で、決して主流派ではありませんでしたが、日本の近代化から学ぼうとした人たちがいたんです。 >そういった経験についてお話しすると、日本回帰しようとする人は、「日本は素晴らしい」という言説に向かってしまいますが、そういったことを言いたいわけではなく、ほかの非ヨーロッパの独立国が、日本をどう見ていたのか、日本の経験自体をどう捉えていたのか、その経験とは何だったのかということをきちんと見据えるということが、「内部の参照点」を探すうえで、とても重要になるんです。  

 

日本人はややもすると忖度と自己慶賀に酔う性質がありますね。   

 

>須賀:非常に慎重な態度が求められるわけですね。    

 

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の非現実は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。日本語には、非現実 (考え) の内容を語る為の時制のある構文がない。

現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。

 

>苅谷:今、保守の方が「伝統」ということの多くは、近代になってから発明されたものばかりです。>日本的なものとして江戸時代から存在していたものもありますが、それらが近代的な解釈を経て、いまだに記憶に残っている言葉の中に郷愁を感じ、日本回帰をするというパターンが多いのではないかと思います。>現在のような不安定な状況において、保守回帰やナショナリズムへの回帰というのはとてもわかりやすい言説になりますし、そのことによって安心を求めようとする気持ちも理解できますが、そういった日本回帰ではなく、謙虚さをもって過去から学ぼうとする姿勢が重要です。   

 

そうですね。    

 

>少なくとも、西洋列強、西洋近代を前にして、日本人がストラグルしながらも、努力し、戦いながら、自分たちでなんとか生き残っていこうとした、努力や格闘の痕跡というのは、冷静に評価すべきことだと思っていますし、非西洋圏においては、日露戦争での勝利はたしかに輝かしい偉業だったわけです。>ただ、私はこのことをアカデミックな、教育の文脈の中で語っていますが、それらが政治的な話になると、必ず政治的に利用しようとする人が出てくるので、そこに難しさがあります。   

 

そうですね。   

「こんなに世界から愛されている日本」、「イギリスに住んで確信! 日本はイギリスより50年進んでいる」、「日本人に生まれて、まあよかった」など、日本では最近、自国を自画自賛する内容の本・雑誌が増えている。これまで、「奥ゆかしい」、「謙虚」と自負していた日本人がこの種の本を書いているのは、中国や韓国などの隣国の急速な台頭を背景に、「アジアナンバーワン」との自信を保つためで、「自画自賛症候群」を患っているとの声が上がっている。環球時報が報じた。(引用終り)  

日本人が自画自賛 (自己慶賀) の快感に酔いしれるさまは外国人には理解し難く滑稽でしょうね。

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるいうのも云うのも、序列社会の言い換えに過ぎない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家にまでつながっている。

序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであるという価値観を共有している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事は、人々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。日本語の階称という短所に翻弄され続ける日本人は情けない。    

 

 

 

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閲覧数1,087 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/02/12 02:55
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