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2021年05月11日(火) 

 

 

> 夫婦関係では女性は男性より「強い」ように表面上見えるが、ここにあるのは、一方的に「母親の役割」を強制されるいびつな女性差別の構造なのだ。  

 

これも伝統的な日本語生活に由来しているものでしょうね。     

 

> とくに男性にとって、この差別的構造はきわめて自覚しにくい。  

 

日本の女性は自分の子供のみならず、自分の大きな子供 (夫) の面倒までも見なくてはならないのですね。その要領は同じで良いのかな。 12歳の大人の養育法は如何にあるべきか。     

 

>女性役員比率と業績に相関関係    >見方や考え方の多様化で活性化    

> では、たとえば企業での男女差別や格差をなくしていくにはどうすればよいのか。 > 職場も一つの「世間」である以上、そこでも女性差別が構造化されている。 

 

日本人の考え方からすれば、それは差別ではなくて区別なのでしょうね。   

 

> この状況を変えるには、日本では差別が見えにくい構造があることをよく自覚し、すみやかにジェンダーギャップを埋める具体的な方策を講じる以外にない。

 

日本人には個人の確立が最重要でしょうね。子供の国にはお母さんが必要です。子供に自主独立の気風が備わればお母さんは必要でなくなりますね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

 > BCG(ボストン・コンサルティング・グループ)の報告書(2017年)によれば、日本企業における女性役員の割合は、ノルウェー36%、フランス30%、イギリス23%、アメリカ・ドイツ・オーストラリア19%などと比較して、わずか3%と著しく低い。  

 

我が国においては、人々は女の女らしさを求めてやまないのでしょうね。    

 

> 興味深いことにこの報告では、東証一部上場904社を調査し、「日本企業の女性役員比率と企業業績には相関関係が見られる」と結論づける。> つまり女性役員を増やすことで企業業績が上がる。 >それは、「ものの見方や考え方が多様化することで、企業が活性化し、イノベーションが加速する」からだという。   

 

耳寄りな話ですね。成功すると良いですね。   

 

> 当然といえば当然の話だ。

 

‘女相手の商売に日照りはない’ ということでしょうか。   

 

> これは一つの例だが、政治のかかげる「女性活躍推進」がレッテル詐欺にならないためにも、女性の管理職を増やすなどの実効的な手立てを、躊躇(ちゅうちょ)することなく実施することが必要だ。  

 

女性管理職の人数を増やすという実効的な手立てだけで持ちこたえられますかね。躊躇なく実施することも日本人には難しいでしょうね。日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)    

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)    

 

 

 

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閲覧数38 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/05/11 22:49
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