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2021年05月13日(木) 

 

 

>東スポWeb  >小沢一郎氏 菅政権と旧日本軍“並列ツイート”に賛否両論  > 東スポWeb 2021/05/12 15:44

 (略)

>12日から緊急事態宣言は東京都、大阪府、京都府、兵庫県に愛知県と福岡県も追加された。>まん延防止等重点措置はすでに8道県に適用となっており、じわじわと規模が広がっている。>立憲民主党の小沢一郎衆院議員は12日、事務所公式ツイッターを更新。>こうした現状に苦言を呈した。 

 

苦言を呈するだけでは良い政治家にはなれませんね。良い案を提出することが大切です。    

 

>「戦力の逐次投入は、旧日本軍が繰り返した必ず負ける戦法」と菅政権の対応を批判。  

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)   

 

>続けて「宣言、検査、ワクチン、全てが小出し。不明確な目標、不十分な補給、根拠なき楽観、最後はやればできるの精神論。   

 

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)       

 

>それで国は一億総玉砕寸前までいった。  

 

そうですね。赤信号 みんなで渡れば怖くない 

 

>戦時中と同じ。

 

日本人の無哲学・能天気は戦前戦後で変わりませんね。   

 

>総理は、国民の命と生活が第一という政治の基本を理解しなければならない」と訴えた。   

 

我が国は平和国家です。しかし政府は国民の生命・財残を守る必要があります。ABC兵器 (Aは原子爆弾・水素爆弾などの原子兵器、Bは細菌・ウイルスなどの生物兵器、Cは毒ガス・焼夷弾などの化学兵器) に対する対応は怠るべきではありませんね。平和国家を宣言すると同時に兵器の研究を他国に丸投げしているのは浅はかな政治家たちと政治音痴の国民ですね。’治に居て乱を忘れず’ は名言です。  

日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。 (ウスビ・サコ)   

 

>このツイートには「その通り」など賛同のコメントがある一方で「コロナと戦争を混同しちゃうセンスの無さ」との指摘も寄せられていた。

 

コロナにも戦争にも日本人の対応力・判断力は必要ですね。  

言語は伝達の手段であるのと同時に、思考の手段でもあります。ですから日本人の考えは日本語の特性に左右されることになります。      

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。      

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。   

 

 

 

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閲覧数976 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/05/13 05:11
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