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2021年06月09日(水) 

 

 

>これにはまたアメリカ型のエリートのリクルートの考えが入ってきたことも大きいかもしれない。 >前述したが、アメリカでは基本的には試験などにもとづく若い時期のエリートのリクルートはしない。>あくまでも社会に出てからの実績が勝負である。  

 

そうですね。実績は大切ですね。意思のあるところには方法 (仕方) がある。すると意思の内容が問題になりますね。だから面接 (interview) が大切ですね。             

 

>いい学校を出ようが能力がなければ落ちこぼれるし、能力さえあれば学歴などは関係なくエリートへの階段を上ることも可能である。  

 

‘いい学校’ とは序列順位の高い学校のことですね。学校の順位は個人の個性とは関係がないですね。いい学校を当てにしていては没個性の社会になってしまいますね。     

 

>さらにいったん高い社会的地位を得てもうかうかしていれば蹴落とされるし、逆に敗者復活の機会も多い。  

 

そうですね。それは実力主義の社会ですね。   

 

> こうした自由度の高い社会であるアメリカが結局は世界をリードするようになったわけであるから、戦前の日本の極端なエリート教育のありかたが批判されるようになったのもある意味で当然のことかもしれない。

 

そうですね。家畜・社畜ばかりの日本人社会では時代の変化に対応できませんからね。     

 

>また特に昭和に入ってからのエリート軍人によって指導された太平洋戦争が悲惨な結末をむかえたことなどはエリート教育に対する不信感をいっそう高めたといってよかろう。  

 

絶対に負けることのない戦争だと日本人は思い込んでいたのでしょうか。それとも、負けてもやりたい戦争だったのか。 

日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。 (ウスビ・サコ)    

 

> しかし戦前の極端なエリート教育がすべて悪かったとは思わない。 >日本全体が貧しく、民度も今よりは低かった当時の日本にあってはやはり若い時期から特別な教育を受けたエリート層の存在は必要であり、彼らの多くはノブレスオブリジェ [noblesse oblige] の精神で日本を引っ張っていったと思う。>(ダメなヤツも多かったかも知れないが)

 

そうであると良いのですがね。日本人には自発性がないですからね。   

 

> たとえば太平洋戦争末期、米軍来襲を控えた沖縄県に、知事として家族を内地に残して死を覚悟で赴任した内務官僚であった島田叡氏などはその典型である。>彼は沖縄県民を守るために東奔西走した後、沖縄戦で殉職したが、「自分は選ばれたエリートである。沖縄県民の護民官たらねばならぬ」という強烈なエリート精神があったからこそあそこまでの働きができたにちがいない。

 

彼は運命論者でしたかね。   

 

>戦後の日本の人材教育   

> 戦後になり、アメリカの自由度の高い社会の効用が知られるようになると戦前型のエリート教育は日本社会から姿を消すようになった。  

 

自由とは意思の自由の事ですね。だが、日本人には意思がありません。   

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. ところが日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)   

 

 

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閲覧数29 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/06/09 17:08
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