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2021年07月02日(金) 

 

 

>そういった意味でも公平性を求め、当時の新テクノロジー情報ツールであり、開かれた場としてのイントラネット(社内インターネット)による情報開示・共有や心情共有を軸として統合を図ってきた組織も多いだろう。

>しかし、ここに来て左脳偏重の弊害が明らかになるにつれ、文字・書き言葉による共認に対するリスクが急激に浮上。>もちろん原因構造は書き言葉(文字)そのものに由来するが、書き言葉は情報量が対面に比べて極端に少なく、体裁状・文字面だけではどのようにも自由自在に書けてしまう。>捏造や誤魔化し、キレイ事、嘘、妄想や上っ面、分かったつもりになりやすいなど、『書き言葉』で文字表現されたものは本来、その信憑性自体が極めて低い情報である。

 

現実の内容は頭の外にある。それは見ることができる。見ればわかる。考える必要がない。これは楽ちんである。

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。それは見ることができない。ただの話である。文法に従ってその文章の単語を逐一理解しなくてはならない。これはしんどい作業である。だから日本人は理解をしないで忖度 (推察) をしただけで済ませてしまう。だが、忖度と理解は似て非なるものであるから気を付けなければならない。忖度は聞き手の勝手な解釈であり、発言者に何の責任もない。だから、聞き手と話し手の内容に齟齬が生じても議論にもならない。忖度の主に現実直視になっていないことを指摘しても、’だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか’ と答えて譲らない。だから日本人の対話は成り立たない。      

 

>特に数字や部分事実の記録や管理といった固定共有機能以外の心情的・信念的・感情的情報では特にその傾向が強い。>同時に文字の固定度は極めて高く、結果信憑性の極めて低い情報が、共認によって固定されてしまう。 

 

話で嘘を吐く人は、文章でも嘘を書くでしょうね。   

 

>これが、現実の評価と直結すると掲示板上の評価が現実の評価となり結果、掲示板絶対信仰の同調圧力が形成され、左脳人間優位の序列体制→組織劣化という構造が簡単に出来上がってしまう。>左脳偏重組織のできあがりである。  

 

それは、序列メンタリティによる弊害ですね。

 

>この体制では、志や信念があろうがなかろうが、それらしい「書き言葉」が軸となり、共認の主軸が左脳に置き換わり、現実の共認や存在としての体制をものの見事に書き言葉世界へと移行させ変容劣化させていく。

 

‘あほだら経’ のようなものですね。書いてあることには意味がない。

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。進歩が期待できる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' ということになり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の比較はこれである。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。      

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。 

 

 

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閲覧数298 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/07/02 15:58
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