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2021年07月29日(木) 

 

 

>2040年に“学歴社会”は終わる...子どもの未来に絶対必要なものは?   >7/21(水) 7:16配信

(略)

>20年前、今の世の中がどうなっているか想像できていた人はどのくらいいるでしょうか? > iPhoneが発売されたのは今から13年前。>それからあれよあれよという間にスマートフォンが主流となり、インターネット環境が整備され、日本人の生活も様変わりしました。>薄型テレビの登場には「『ドラえもん』の“壁掛けテレビ”キターー!」と驚嘆していた筆者 [金澤英恵] ですが、それもありし日の思い出。>「もう、時代のスピードについていけない……」と呟いたところで、確実に未来はやってきます。

 

未来は我々が作るものですね。そうでなければ希望もない。      

 

>“未来の世界”に一抹の不安を抱える筆者のような方にぜひ参考にしていただきたいのが、元日本マイクロソフト代表取締役社長の成毛眞さんが執筆した『2040年の未来予測』。 >本書は、「今」のデータや状況を分析することで、20年後の世界、そして日本がどうなっているかを教えてくれる一冊です。>今回はその中から、成毛さんが考える“日本の学歴の未来”についてご紹介します。

(略)

>日本では学歴の意味がなくなる   >著者は本書の中で、「日本では、これから2040年に向けて、学歴の価値は下がっていく」と明言。>衝撃的な一言のようにも思えますが、日本の大学進学率を見るとすでにその傾向が表れていると言います。 

 

もともと我が国には意味のない学歴が存在するからでしょうね。  

 

>「そもそも世界的に見ると、日本はもはや学歴社会ではない。>受験制度も私が学生の頃と大きな枠組みは変わっていないし、国際比較すると日本の教育水準は大幅に低下していることがわかる。>OECD加盟36か国の大学進学率の平均は58%だ。対して、日本は49%にとどまり、下から11番目だ(※)。>別に大学に進学しようがしまいが個人の勝手だが、バブル崩壊の処理に追われている間に、世界から日本が取り残された現実は覚えておいた方がいいだろう」

>※国立大学協会「2019年国立大学法人基礎資料集」より。>カナダ、アメリカはデータが提出されていない  

 

もともとわが国には英米流の学問はない。 それが ‘元の木阿弥’ に返ったのでしょうね。    

 

> 1990年代に起こったバブル崩壊による日本経済の急激な後退。>その「失われた20年」の間に、日本の教育は世界に水をあけられてしまったというわけです。

 

経済 (脳の外) の影響ばかりではなく、脳髄 (脳の中) の問題にも関係しているでしょうね。   

 

>さらに、大学生の学習傾向とその理由についても次のように言及します。>「大学生が勉強しないのも同じだ。>大学生の平均学習時間は小学生よりも短いという統計調査もある。   

 

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)       

 

>なぜ勉強しないかというと理由は簡単で、勉強しようがしまいが、大半が入社する企業での処遇がほとんど変わらないからだ。   

 

そうですね。無哲学・能天気で暮らすのであれば、企業の処遇は勉強の量には関係がないですね。   

現実の内容は頭の外にある。それは見ることができる。見ればわかる。アニマルでもわかる。考える必要がない。だから楽ちんである。   

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。それは見ることができない。その内容はただの話である。

全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。

文章の内容は文法に従ってその単語を逐一理解しなくてはならない。これは骨の折れる仕事である。だから、通常日本人は文章の理解をしない。馴れ合いで済ませている。   

馴れ合い・‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませることである。

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)     

 

>アメリカでは大卒と博士課程修了者は初任給が約5割違うが、日本の場合、よくて2割程度だ。  

 

日本ではインテリが企業の役に立っていないということでしょうね。    

 

>学生にしてみれば金も時間もかけようと思わないだろう。>むしろ、理系ですら博士まで進学すると給与があがるどころか就職口も減るのが現実なので、誰も進学しようとしない」 >知識と専門性を深めることができる大学という学びの場。>しかし、どれだけ大学で勉学に打ち込んだとしても、就職すれば環境も報酬も「新卒」と十把一絡げにしか扱われない日本。

 

それは日本人社会が学問を軽視している動かぬ証拠ですね。   

我が国には人手不足は生じても、頭脳不足の生じた話はない。きっと、頭脳不足を人手により間に合わせる習慣があるからでしょうね。   

 

>学びへの情熱はいつしか、「○○大卒」と履歴書に書ければいいや、という気持ちにすり替わっても無理はないかもしれません。

 

そうですね。日本人は名を見て実を見ていない。    

 

(略)

> 「結局、多くの人が大学に行こうとし、熾烈な受験戦争まで起きたのは、大学に行くことが就職するためには必要だったからだ。 >日本は戦後長い間、右あがりの成長を続けた。 >“いい会社”に入ることができれば安泰だったのだ。

 

熾烈な受験戦争はわが国の学問の発展には関係がありませんね。学歴重視は嘘も方便のようなものですね。   

‘いい会社’ の ‘いい’ は、序列順位のことですね。ただ漠然と ‘下のものほど割が悪い’ という言い伝えから来ているのでしょうね。身分格式の感覚に囚われていて個人の幸福とは直接関係ありませんね。我々は個人の幸福を重要視すべきですね。自分の好きなことに励んでいる人は、疲れを知りませんね。

 

>もちろん、大学に行かなくても就職口はあったが、安定して高い給料がもらえる“いい会社”は競争率が高かった。>そして、なぜそこで競争が起きたかというと、大企業の席が少なかったからだ。 

 

‘寄らば大樹の陰’ ですね。個人主義の抜け落ちている社会の格言でしょうね。      

 

>つまり、人口が増え続けたから、“いい会社”の採用枠に対して応募する学生が圧倒的に多かった。>大勢の中から少数を採用するため、企業は採用基準を設ける必要があった。>それが学歴だった」   

 

序列順位を使った選別法は、わが国の序列社会における人間のごく一般的な選別法ですね。在り来たりであり没個性ですね。       

 

> ポスト団塊ジュニア世代であり、就職氷河期世代、失われた世代と言われた筆者 [金澤英恵] も、この「大学に行くことが就職するためには必要だった」という時代の空気はひしひしと感じていました。 

 

これは物事を深く考えない人たちの起こす社会現象でしょうね。    

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

だから、’自明の理 (self-evident) である’ といった内容の強調の仕方を日本人はしない。  

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

周囲の気分・雰囲気を敏感に感じ取る態度が日本人に高く評価されている。

‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’  (ウスビ・サコ)   

日本人は自己の思考を停止しており万事受け身で対処するが基本姿勢となっている。 

 

>大企業への就職は、もはやそれだけで揺るぎのない未来を手に入れた“勝ち組”のようなもの。

 

没個性の人からなる勝ち組はさぞかし人生が空しいでしょうね。   

 

>「正社員になりたいなら学歴がないとお話にならない」――この最低条件は“いい会社”に限らず、多くの企業にとって同じだったように思います。>「もちろん、必ずしも“高学歴=仕事ができる”わけではないのはみなさんもご存じだろうが、手間やコストをかけずに採用するには、学歴が最もわかりやすい指標となった。  

 

そうですね。日本人には最も分かりやすい上下の指標が常に必要ですね。上下の証拠を見せれば文句が出ない。   

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。これは序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

 

 

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閲覧数295 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/07/29 02:48
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