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2021年09月11日(土) 

 

 

>植草一秀の『知られざる真実』 >マスコミの伝えない政治・社会・株式の真実・真相・深層を植草一秀が斬る  

 

(略)

>2021年8月30日 (月)  >学校のいう名の収容所 >敗戦後の日本民主化政策に二つの陥穽(落とし穴)があった。>大きなやり残しがあった。  

 

日本の民主化は日本人が責任をもって行うべきですね。アメリカはわが国の民主化にそれほどの責任を感じていないでしょうね。日本人の他力本願・神頼みではなかろうか。   

 

>ひとつは官僚機構に実権を持たせ続けたこと。

 

我が国の官僚機構は序列体制そのものですからね。日本語が変わらないと官僚機構も変わりませんね。      

 

>戦前の官僚機構は天皇の官僚であり、支配者の一翼を担う存在だった。 >戦後はこの基本が否定された。

 

そうですね。序列体制を否定しようにも、意思の無い日本人に代替え案の作成は不可能でしょうね。    

 

>日本国憲法は公務員について次のように定めた。 >第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。 >2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。 >公務員の選定、罷免の権利を国民に付与した。 >同時に公務員は「全体の奉仕者」と位置付けられた。 >public servant である。>ところが、実体上、官僚機構の行政全般、立法全般に対する支配的地位が維持されてしまった。 

 

‘仏作って魂入れず’ ですね。日本人には意思がなくて恣意がある。これでは改革は文面通りには進みませんね。       

 

>上級国家公務員制度を残したことがその原因であると判断できる。 >大卒公務員の採用を上級と中級、あるいは第一種と第二種に区分せず一括採用とし、省庁別採用ではなく国家公務員、地方公務員として採用し、人事でローテーションさせる仕組みを導入するべきだった。 

 

‘後悔先に立たず’ ですね。Repentance comes too late.     

 

>もうひとつのやり残しは学校制度の改革。

(略)

>敗戦後日本では戦前の教育が否定され、抜本的な教育改革が行われたが、重要な部分で戦前を残してしまった。 >日本の学校を支配しているのはいまも上下の権力関係である。

 

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していない。   

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。これは序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

>学校が何よりも重視しているのは「従う子ども」の育成だ。

 

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)   

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようですね。   

 

>上の言うことに従う。  

 

上意下達ですね。   

 

>従順、素直、服従、寡黙が目指される。>そして、戦前の軍事教練が敗戦後にもそのまま引き継がれてしまった。  

 

意思の無い人間に対する訓練はこれしかないでしょうね。    

 

>GHQのこの見落としは極めて重大だ。  

 

見落としというよりも、どうにもならないのでしょうね。民族性というか、言語に由来する個性そのものでしょうね。   

日本人が改革する意思のない改革をアメリカ人が努力すべきでない。      

 

>ひとことでGHQといっても内実は極めて重大な曲折を含む。 >戦後史の最重要点だ。 >当初のGHQで主導的役割を担ったのはGS=民政局。>民政局が戦後日本民主主義を創設したと言って過言でない。  

 

そういう事ですかね。わが国の民主主義は移植によるものですね。       

 

>ところが、1947年のトルーマン大統領による米国外交基本路線の転換(トルーマン・ドクトリン発表)を契機に、GHQの主導権がGSからG2=参謀2部に移行した。 >この移行が急激でなかった理由は、マッカーサー最高司令官とトルーマン大統領が犬猿の仲であったことによる。

> (略)

>しかし、GHQの実権はG2に移行し、日本民主化は停止され、日本の非民主化、反共化、戦前への回帰が推進された。  

 

日本の民主化は米国の国益に合致せず、米国民が求めるものでもない。何事においても、日本人は他力本願・神頼みですからね。   

 

>敗戦後日本での体育授業では 「前に倣え」、「右向け右」などがそのまま引き継がれた。 >日本の学校制度は明治時代に森有礼が軍隊に倣ってつくったもの。 >そのために、とりわけ体育の授業では軍隊の軍事教練がそのまま学校に導入された。>その方式が敗戦後も引き継がれている。  

 

何事も習慣はおいそれと変えられないものですね。  

我が国の住民は無哲学・能天気であるから、日本人には、儀式 (作法) があって、教義 (考え) というものがない。一般に中身がわからない人ほど外観にこだわる。これが見栄と外聞へのこだわりの原理となっている。常に中身で判断しないということは、中身のない人間のすることである。作法ばかりにこだわって、これに従わない者には罰 (ばち) を当てる。そこで子供が生まれた時には宮参りをする、結婚式はキリスト教会で挙げる、葬儀は葬式仏教のご厄介になるということになる。全ての行為は、気分・雰囲気の良さで決められている。内容の無いところが浮世の習いになっている。 

 

>前川喜平氏に教えていただいたが、運動会の入場行進の「全たい進め」や「全たい止まれ」という号令の「全たい」は「全体」ではなく「全隊」なのだそうだ。 >隊列を組んでいるので、「全体」の「たい」ではなく「全隊」の「たい」ということ。  

 

あくまでも軍隊調ですね。    

 

>教師と生徒・児童の間に命令の発令者と命令への服従者という明確な上下関係が敷かれている。 

 

上意下達ですね。全ての指揮系統はこのようになるでしょうね。      

 

>2006年に安倍晋三氏が実行した教育基本法改悪で 「国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた」「国民の育成を期し」て教育が「行われなければならない」ことが第1条の教育の目的に明記され、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛すること」が教育の目標として明記された。

 

そうですね。意思の無い人間の作文は空念仏に終わるでしょうね。    

 

>国家の命令に従順に服従する国家の手駒になる人間の生産が目指されていると言ってよいだろう。  

 

意思の無い人間が従順であるのは仕方がないことですね。自ら意思を表現できる人間の育成が必要ですね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

>「招待所という名の収容所」と題する著書があるが、日本の学校は「学校という名の収容所」、「学校という名の監獄」の側面が非常に強い。  

 

皮肉なものですね。   

 

>学校制度の改革は個人の救済、そして日本の未来にとって最重要かつ喫緊の課題だ。

 

そうですね。我が国民には個人主義 (induvudualism) が必要ですね。自らの意思を持つことがなければ、自由を追求することも難しい。 人々は依然として ‘不自由を常と思えば不足なし’ の中にいる。         

 

 

 

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閲覧数252 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/09/11 03:27
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