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2021年09月12日(日) 

 

 

>日刊ゲンダイDIGITAL  >ビジョンなく恐怖で支配した菅総理 国を率いる政治家は確固たる哲学や理念を持つべきだ(三枝成彰)> 日刊ゲンダイDIGITAL 2021/09/11 06:30

 (略)

>事実上の退陣を決めた菅総理は、日を追うごとに人気を失っていった。 >昨年9月の政権発足当時の内閣支持率は62%(NHK世論調査、以下同)。>それが今年8月には29%にまで落ち込んだ。>一方で不支持は13%から52%にまで上昇している。>原因はビジョンを欠いていたことだと思う。 

 

そうでしょうね。  

 

>「私はこの国をこうしたい」という方向性が、1年経ってもいっこうに見えなかった。>そして今、安倍内閣が8年にわたって劣化させた永田町や霞が関をさらに散らかすだけ散らかして、後片づけもせずに立ち去ろうとしている印象だ。 

 

そうですね。彼は無定見ですね。ただ、一生懸命にやるだけが取り柄か。   

 

>■軍閥内閣を彷彿とさせる不誠実な内閣  >振り返れば安倍内閣も菅内閣も、政治家や官僚が平気でウソをつくことを許してきた。 

 

そうですね。嘘つきは泥棒の始まりですね。    

 

>ここまで国民に不誠実な内閣は、戦前にさんざん虚偽の大本営発表で国民をだまし、扇動して戦争へと駆り立てた軍閥内閣を彷彿とさせる。  

 

騙す方も騙す方、騙される方も騙される方ですね。 

思慮ある人は ‘現実を直視して’ その解釈をあれこれと詮索するが、凡人は ‘期待したもの’ しか見ようとしない。     

 

>かつて森友学園をめぐる公文書改ざん問題で安倍前総理は「私や妻が関係していたなら、総理大臣も国会議員もやめる」と発言した。>国会でこのように言えば、事実がどうあれ、官僚たちはそれに合わせて動かざるを得なくなる。 

 

総理大臣に指名された人はそうなりますね。彼らは受験成績・勤務成績に関係なく採用・昇任がされますからね。   

 

>総理や内閣を守るのが彼らの責務だからだ。

 

特別職の人はその為に雇われていますからね。 一般職の人とは違いますね。      

 

>官僚にそのような「忖度(そんたく)」をさせてしまう空気をつくり上げた罪は重い。>自殺者も出ている。 

 

忖度はわが国の陋習ですね。
非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて単語の内容を逐一理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。理解は人間だけが持つ言語の世界である。その対極は ‘なれ合い’ とか‘なあなあ主義’ である。これらは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませることである。理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので話にならない。かくして、日本人の対話は不可能になる。  

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

 「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」    

 

>内閣人事局の存在も影響が大きかった。>これで内閣官房は各省庁の幹部人事権を手にした。>生殺与奪の権を握られた官僚は、政治家に対して進言も諫言(かんげん)もできなくなった。 

 

官僚には政治責任は無いと思いますがね。彼らは選挙で選出されたわけでもなし、議会で承認されて席を得たわけでもありませんからね。    

 

>反感を買えば更迭されるという恐怖が彼らを萎縮させ、能力を発揮する機会を奪った。  

 

その威力はKGB出身の大統領のようなものですかね。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏 (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<日本語文庫新版への序文>の中で下記の段落のように述べています。

、、、、、日本の政治を語るうえで欠かせない表現の一つである「仕方がない」という言葉を放逐することに、本書がいささかなりとも役立てばと願っている。本書は、本当の意味での政治参加をさせまいとして日本に広く作用する力について詳述している。この力こそは、個々人の、市民になろうとする決意と、有効に機能する民主主義を守ろうという意志を弱めるものである。日本に作用するこの力は、独裁政権があってそこからくり出されてくるのではない。それは日本の社会環境のあらゆる場所から発現する。、、、、、この力こそが、多くの日本人が身をおく境遇に対して唯一、適当な対応は「仕方がない」とうけいれることだと思わせるのである。(引用終わり)    

 

>そのときから、選りすぐりの人材がそろっているはずの官僚の劣化が始まったのだ。  

 

官僚には政治責任がありませんからね。努力の程もホドホドですね。    

 

>政治家に対しては、日本版CIAといわれる内閣情報調査室が徹底した“身体検査”を行い、弱みを握った。>政権に好ましからざる動きを見せる者がいれば、検査結果をネタに脅しをかける。 >総裁選立候補者の出馬取りやめなどは、そのためだろう。 

 

我が国にクリーンな政界が出現したのですね。   

 

>■恐怖政治の中枢にいたから人望がない >安倍政権が霞が関と永田町に敷いた恐怖政治の中枢にいたのが、官房長官だった菅さんだ。 >だから彼には、人望がないのではないか。 

 

脅しの手法でしたらヤクザでもやりますからね。   

 

>官房長官と総理大臣では、まったく立場が違う。>恐怖で支配するだけでは人はついてこないことを、総理になって思い知っただろう。  

 

そうですね。金正恩とは立場が違いますね。   

 

>政治家に求められる要件は、実務家のほかに“人たらし”であることではないか。>吉田茂や田中角栄は仕事もできたが、国民に人気があった。>「この人になら政治を任せてみたい」と思わせる魅力があった。 

 

政治家は人気商売の一面がありますからね。わが国では不人気ならば落選します。      

 

>えてしてそういう政治家は毀誉褒貶(きよほうへん)があるものの、親分肌で強い者にへつらわず、有事の際には「俺が責任を取る」と言い切れる自信も持ち合わせていた。>そして池田勇人や角栄は「所得倍増」や「日本列島改造」などのわかりやすいビジョンを打ち出し、国のかじ取りを行った。>国を率いる政治家は、まず確固たる哲学や理念を持つべきだ。

 

そうですね。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 政治家には、政治哲学が必要である。政治に関する考えは、政治哲学になる。無哲学・能天気ではいられない。      

 

>「自分は日本をこういう方向に導いていきたい」と明快に示し、国民の賛同を得る努力をすべきである。  

 

そうですね。政治家は未来を先取りする人でなくてはならない。既成事実の追認と他人・他国の後追いばかりを専門にする政治家は、この国を停滞させて落後に導く人ですね。   

 

>そういう人にはおのずと魅力も備わってくる。>安倍さんには憲法改正という空恐ろしい思想があったが、菅さんにはそういうものすらない。>菅さんの座右の銘は「意志あれば道あり」だそうだが、道を切り開いて歩こうとしても、信ずるに足るリーダーでなければ、誰も後についていかないことを知ってほしい。 

 

意思のあるところに方法・仕方がありますね。Where there’s a will, there’s a way. だが、日本人には意思がない。    

 

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく) 

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようですね。   

日本人には意思がない。だから意思決定はできない。意思決定が必要な時は、恣意決定に頼ることになる。つまり、事の次第・自然の成り行きで決着をはかる。このやり方は、アニマルも同じである。

恣意 (私意・我儘・身勝手) はバラバラな単語のままで存在するから文章にならない。だから、意味というものがない。行為・言動の本人にその説明責任はとれない。  

日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 (腹) の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。未来は一寸先が闇である。危険が一杯である。だから、お変わりのないことが何よりなことである。

 自由とは、意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。恣意の自由は何処の国でも認められていない。恣意の自由は ‘自由のはき違え’ になって許されない。だから、’不自由を常と思えば不足なし’ となって、日本人の生活は以前の生活と変わることがない。  

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。

自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない蚊帳の外。

 

>確固たる哲学や理念を持ち、公僕たることを自任する信頼できる政治家は、もはやこの国には出てこないのか。  

 

全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。だから、英米流の高等教育機関では論文作りが盛んになる。 

 

>政治家と官僚とマスコミの著しい劣化を見ると、暗澹(あんたん)たる気持ちになる。  

 

無哲学・能天気の人間は、劣化が著しい。     

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

>(三枝成彰/作曲家)   

 

 

 

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閲覧数35 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/09/12 13:42
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