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2021年11月09日(火) 

 

>日本が太平洋戦争に総額いくらを費やしたか、知っていますか  >国家予算の280倍、今で換算すると…  >加谷 珪一 プロフィール  

>毎年、この時期になると太平洋戦争に関する話題がメディアで取り上げられる。>あの戦争については様々な解釈が存在しているが、そのほとんどが政治的な視点か軍事力によるものであり、経済的な視点での議論は多くない。

 

そうですね。文化人類学からの視点もありませんね。    

 

>だが歴史を振り返ると、戦争と経済は切っても切れない関係にあり、経済力は戦争遂行能力そのものであるというのが現実だ。>経済という切り口で太平洋戦争を振り返った時、何が見えてくるだろうか。 

 

経済は大切な視点ですね。金は命の次に大切なものですからね。   

 

>国家予算の280倍をどう用意したのか   >戦争に多額の費用がかかることは多くの人が認識しているが、実際にどの程度の金額が戦争に費やされるのかについて詳しく知る人は少ない。 >突出して規模の大きかった太平洋戦争には、いったいいくらの戦費が投入されたのだろうか。 >実は、太平洋戦争における戦費の実態はよく分かっていない。

 

戦時中のどさくさに紛れているのでしょうね。     

 

>戦争中といっても、日本政府は毎年予算を組み、記録も存在している。 >それでも金額がはっきりしないのには主に二つの理由がある。 >ひとつは軍部が暴走し、東南アジアの占領地域において軍票(手形の一種)や独自の現地通貨を乱発し、この財源をもとに資金を現地調達したため、その分の金額がはっきりしないことである。>もうひとつは、太平洋戦争が日本経済の基礎体力を完全にオーバーした戦争であり、これによって激しい財政インフレが発生。>戦争期間中からすでに日本円の貨幣価値がかなり毀損してしまったからである。  

 

‘欲しがりません勝つまでは’ の掛け声だけではインフレは防げませんでしたね。    

 

>戦費の実態はよく分からないと述べたが、ある程度までなら推測することができる。>旧大蔵省が戦後まとめた資料によると、太平洋戦争(日中戦争を含む)における名目上の戦費総額(一般会計と特別会計)は約7600億円となっている。

>金額だけ聞くと意外に少ないと感じるかも知れないが、日中戦争開戦時のGDP(厳密にはGNP)が228億円なので、戦費総額のGDP比率を計算すると何と33倍になる。>また、国家予算(日中戦争開戦当時の一般会計)に対する比率では280倍という天文学的数字である。>もっとも、この数字には少々カラクリがある。>太平洋戦争の戦費はあまりにも膨大で、税金を使って調達することは不可能だった。>このため、戦費のほとんどは日銀による国債の直接引き受けによって賄われた。>現在の量的緩和策にも通じるところがあるが、日銀が無制限に輪転機を回すということなので、当然のことながらインフレが発生する。 >戦争中は価格統制が敷かれていたことからあまり顕在化しなかった(これも現在に通じる)が、それでも戦争が始まると物価水準はどんどん上がっていった。 >この財政インフレは終戦後、準ハイパーインフレとして爆発することになったわけだが、戦費の実態を考える時には、このインフレ率を考慮なければならない。 >さらに、日本軍は占領地域に国策金融機関を設立し、現地通貨や軍票(一種の約束手形)などを乱発して無謀な戦費調達を行った。 >これによって各地域の経済は破壊され、日本国内をはるかに超えるインフレが発生したが、占領地域におけるインフレの実態は、よく分かっていない。>いずれにせよ、占領地域では相当のインフレになっているにもかかわらず、名目上の交換レートは従来のまま据え置かれたので、書類上、日本円ベースの軍事費が膨れ上がる結果となる。

 

>無理にもほどがある   >当時の国内のインフレ率を適用し、さらに現地のインフレ率を国内の1.5倍と仮定した場合、実質的な戦費の総額はおよそ2000億円と計算される。 >仮にこの数字が正しいと仮定すると、GDPとの比率は8.8倍に、国家予算との比率は74倍になる。 >先ほどの比率に比べればかなり小さくなったが、それでも途方もない金額であることに変わりはない。 >現在の価値に置き換えれば、4400兆円もの費用を投入したことになる。 >これらの戦費負担については、最終的には、預金封鎖によって国民から財産を強制徴収する形で埋め合わせが行われた。 >税率が高い人では資産の9割が徴収されており、富裕層の多くはこれによって財産のほとんどを失うことになった。

 

我が国民は、’国破れて預金無し’ ですね。   

 

>では、戦争のもう一方の当事者である米国の様子はどうだったのだろうか。

 

‘彼を知り己を知れば百戦やうからず’ ですね。(孫子・謀攻)     

 

>太平洋戦争は米国にとっても大きな戦争だったが、それでも日本と比べると相対的な負担は軽い。>米国における第2次世界大戦の戦費総額は約3000億ドル。開戦当時の米国のGDPは920億ドルなので、GDP比は3.2倍となる。

>米国は太平洋戦争と同時に、欧州では対独戦争を戦っている。>極めて大規模な戦争を2つ遂行しているにもかかわらず、この程度の負担で済んでいることを考えると、米国経済の基礎体力の大きさが分かるだろう。>ちなみに第1次大戦の時に英国が投じた戦費総額も当時のGDPの3.8倍程度であった。>国家の存亡をかけた全面戦争であっても、無制限にお金をかけられるわけではない。>GDPの3倍から4倍程度というのが、無理なく全面戦争を遂行できる限界値であるとみてよい。

 

そうですね。彼らには節度がありますね。    

 

>その点からすると、太平洋戦争は最初から無理のあった戦争という解釈にならざるを得ない。>ダイエー創業者の中内功氏が徴兵され戦地に赴いた際、日本軍が飢えに苦しむ中、米兵が基地内でアイスクリームを自由に食べているのを見て衝撃を受けたという話は有名だが、数字上の体力差はこうした日常的な光景にも反映されることになる。  

 

日本人には節度がない。   

 

>日露戦争との激しすぎる落差  >これほど無謀な戦争に反対する意見もなかったわけではない。 >当時は、現在のGDPに相当する概念はなく、企業の生産力や輸送力などの統計データから国力を算定していたが、一連のデータから対米戦争の遂行は不可能という分析は行われていた。 >それにもかかわらず、開戦が決断され、全土が焼け野原になるまでそれを止めることはできなかったのは、なんとも残念なことだ。

 

そうですね。何としても改めたい我々の国民性ですね。   

 

>太平洋戦争の特殊性は、明治期に行われた日清戦争・日露戦争と比較するとさらに際立つ。 >日清戦争開戦当時のGDPは13億4000万円で、戦費総額のGDPは0.17倍だった。 >現在の日本にあてはめると約85兆円という金額になる。 >一方、日露戦争の開戦当事のGDPは約30億円で、戦費総額のGDP比は0.6倍だった。 >両者ともそれなりに大きい金額だが、決して拠出不可能な水準ではなく、実際に、戦争終了後の日本経済に対して深刻な影響は与えていない。 >ちなみに日露戦争の戦費の多くは、当時、覇権国家であった英国ロンドンのシティ(現在の米国ウォール街に相当)において外債を発行することで調達された。 >外債の発行は難航が予想されたが、英米の投資銀行が積極的に関与したことや、当時の日本側の責任者であった高橋是清(のちに蔵相、首相。二・二六事件で暗殺)が見事なプレゼンテーションを行ったことで、ほぼ全額の調達に成功している。 >世界の投資家を相手に、戦争の目的や合理性をアピールし、十分に納得させた上での外債発行であることを考えると、日露戦争はまさにグローバルな経済・金融システムをフル活用した戦争といってよいだろう。  

 

明治の政治家は実に慎重だったのですね。   

 

>一方、太平洋戦争はグローバル・スタンダードであった英国と米国の両方を敵に回し、親米感情が強い中国(国民党)とも戦争をしてしまった。>日清・日露戦争とは正反対に、グローバルな動きに完全に背を向けた戦争であった。

 

そうですね。わが国の政治家は再び井の中の蛙になったのですね。孤立無援ですね。   

 

>日露戦争当時、シティで調達された英ポンドは、日本には移送されず、そのまま英国の銀行に預金された。 >その理由は、英国から大量の近代兵器を輸入する必要があり(三笠など当時の主力艦船のほとんどは英国製)、その決済がシティで行われるからである。 >大事な国家予算を外国の民間銀行に預けることには抵抗があったと思われるが、当時の指導者はグローバルな金融システムを熟知しており、合理的な決断をしたものと思われる。 >維新という半ばクーデターに近い形で政権を掌握した明治政府の指導者に対する評価は様々であり、筆者も全面的に賛美する立場ではないが、当時の指導者たちに卓越したリーダーシップとリアリズムが存在したことは間違いない。

 

当事の指導者たちは現実直視ができたのですね。  

 

>それと比較した場合、学歴選抜された昭和のエリートが著しく劣っていたことは認めざるを得ないだろう。

 

そうですね。学閥は井の中の蛙ですね。

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)   

 

>歴史は繰り返す

>歴史を知っている今のわたしたちが、現在の目線で当時の決断を批判することはたやすい。 >だが、一方で歴史は繰り返すともいわれる。

 

そうですね。反省も無く何回も失敗していますね。やってみなければ分からない人達が多すぎますね。  

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

だから、’自明の理 (self-evident) である’ といった内容の強調の仕方を日本人はしない。  

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

周囲の気分・雰囲気を敏感に感じ取る人物が日本人に高く評価されている。

‘日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’  (ウスビ・サコ)   

日本人は思考を停止しており万事受け身で対処するのが基本姿勢となっている。   

 

>「戦争は他の手段を持ってする政治の継続である」というのは、戦争論(クラウゼヴィッツ:1780年~1831年)の有名な一説だが、政治や外交も最終的には経済問題に行き着くことがほとんどである。 >つまり、戦争は日常的な経済活動の延長線上に存在することになる。

 

そうですね。我々の日常生活は国の生命線につながっていますね。   

 

>実際、各国の戦争遂行能力は、GDP(国内総生産)に比例しており、経済体力を超えて戦争を遂行することはできない。  

 

そうですね。GDP無視は自殺行為ですね。一億聡玉砕への道ですね。      

 

>現実を直視せず、結果として日本経済を完全に破綻させてしまった太平洋戦争は、まさに教訓とすべき歴史的事実だが、規模は小さいながらも、わたしたちは今でも同じようなことを繰り返している。

>シャープの液晶投資や東芝の米ウェスティングハウス買収に無理があったことは、当時から何度も指摘されていたが、勇ましい精神論にかき消され、社会で共有されることはなかった。  

 

日本人は勇ましい精神論が好きですね。日本人の精神は意思ではなくて恣意ですね。意地、根性、大和魂などの用語を使って表現されますね。

日本人には意思がない。だから意思決定はできない。意思決定が必要な時は、恣意決定に頼ることになる。つまり、事の次第・自然の成り行きで決着をはかる。このやり方は、アニマルも同じである。

恣意 (私意・我儘・身勝手) はバラバラな単語のままで存在するから文章にならない。だから、意味というものがない。行為・言動の本人にその説明責任はとれない。恣意の人間は指導者になっても危険であるから権力は持たせられない。人人はできるだけ権力の少ない指導者を望んでいる。すると、指導者は床の間の置物のようなものになる。彼の唯一の業績は '任期中に何もしなかった' ことであると任期終了時にいわれている。  

日本人はなれ合っている。なれ合いとは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 (腹) の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。無責任でしかない責任者の権力はできるだけ小さいほうが良いので、日本人は権力の所在についての考えがない。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎>の中の <とらえどころのない国家> で、次の段落のように述べています。

国会両院以外に、国家の中核として権力を持っているらしく見える組織は、官僚と大企業である。だが、この両者のどちらにも、究極的な権力はない。ボスはたくさんいるが、ボス中のボスといえる存在はないし、他を統率するだけの支配力のあるボス集団があるわけでもない。…… どの国についても、国家の実態をとらえるのは容易ではないが、日本の場合はとくに、バケツの中のウナギを素手でつかまえる、ということわざのたとえそのものである。指令の流れる経路、責任の中心、見え隠れする政策決定上の実際の動きなどが、すべて気が変になるほど、とらえどころがない。(引用終り)  

 

>日の丸液晶メーカーとして多額の国費が投入されたジャパンディスプレイは、大方の予想通り、経営が立ちゆかなくなり、大規模なリストラを余儀なくされている。 >見えない形で太平洋戦争の失敗は今でも続いているのだ。

 

そうですね。まさに ’歴史は繰り返す’ ですね。   

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)      

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 

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閲覧数31 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/11/09 13:52
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