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2021年11月20日(土) 

 

 

>2016年05月04日  >日本人奴隷化の真実<本澤二郎の「日本の風景」(2344)><明治に確立した暗い明治> > 岩波文庫「近代日本思想案内」(鹿野政直著)を開くと、日本人の奴隷化政策が、不幸にして明治に確立したことを教えている。 >武器弾薬には兆速の進歩を遂げたが、文化面では徳川の江戸幕府の方が、はるかに優れていることがわかる。 

 

実学 (技術) は現実の内容ですから世の東西同じですが、考えは非現実の内容ですから言語が違えば結論も違いますね。   

 

>明治の欧化政策で注目させた学問的成果は、欧米の近代思想の翻訳である。

 

そうですね。翻訳は漢字ばかりの中国人には出来ない技ですね。      

 

>中国の留学生は、日本で民主主義やマルクス主義を学んでいるほどだ。 

 

そうですね。漢字には中国人の意味がある。しかし、漢字は西洋思想を反映させるために作られてはいません。  

 

>日本はしかし、明るい明治づくりに失敗して、侵略戦争に突入して、その挙句、原爆投下とソ連参戦によって、手ひどい仕打ちを受けてしまった。>自業自得である。   

 

考えの内容は、’東は東、西は西’ ですね。

'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)    

だから、’自明の理 (self-evident) である’ といった内容の強調の仕方はしない。  

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)

周囲の気分・雰囲気を敏感に感じ取る態度が日本人に高く評価されている。

 

>明治の失敗を教訓にしないと、日本の未来はないだろう。

 

そうですね。しかし、失敗の分析は未だになされていませんね。我々のお先は真っ暗です。   

 

><国家神道・教育勅語・大日本帝国憲法>  > 欧化政策は、明るい日本を約束するはずだったかもしれないが、時の薩長藩閥政府は、欧米の悪しき侵略路線を選択した。>それが大日本帝国憲法と教育勅語である。 

 

日本人には (現実) は分かりますが、非現実 (考え) は理解できませんね。

 

> 鹿野本の指摘だが、もう一つ重大な事実を忘れていた。>それは宗教政策である。>廃仏毀釈による国家神道の確立である。> 数世代の強要によって、多くの日本人は、神社信仰の、恐怖で強いられたカルト教であることをすっかりと忘却している。>マルクスが「宗教はアヘン」と決めつけた理由がわかる。

 

そうですね。神様の祟りは恐ろしいですからね。   

 

>神社の祭礼には、違和感を抱くことなく、参加する市民は現在もいる。>特に右翼議員の祭礼参加は、靖国参拝に比例している。  

 

日本の宗教には儀式 (作法) があって、教義 (教え) がない。現実がそうであるだけに作法が厳しい。      

 

>家の中心に飾った神棚と、近隣にある無数の神社、そして本山である靖国神社・明治神宮・伊勢神宮・出雲大社を、不思議とありがたがる風習は、現在も変わっていないかのようだ。> 明治期に確立した日本人の奴隷化の根源は、宗教と教育と憲法である。  

 

宗教・教育・憲法は我々受動人間の行動規範ですね。   

 

>この3本の矢を撃ち込まれて、人々は健全な思考と抵抗心を完璧に失って、奴隷化されてしまった。

 

元々思考停止の人間には、抵抗心もありませんね。作法を教え込まれないと行動にも支障をきたすほどです。      

 

>問題は、そのことさえ理解する能力を喪失してしまった点にある。

 

無哲学・能天気とはそういったものでしょう。   

 

><駆逐された自由民権運動> > 明治の欧化政策の評価される学術成果は、民主主義を学ぶ機会を手にしたことである。 >これが自由民権運動として、政治的な運動体として開花した。 > これが主流となれば、日本の近代史は大きく塗り替えることが出来たろう。 

 

そうは問屋が卸さない。我々日本人には言語の問題が在りますからね。  

 

>不幸にして、地方侍による明治政府は、天皇制国家主義へと突っ走って、自由民権運動を駆逐してしまった。 

 

自由とは意思の自由の事である。ところが、日本人には意思がない。だから、日本人には自由にも意味がない。   

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようですね。   

 自由とは、意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。恣意 (私意・我儘・身勝手) の自由は何処の国でも認められていない。恣意の自由は ‘自由のはき違え’ になって許されない。だから、’不自由を常と思えば不足なし’ となって、日本人の生活は以前の生活と変わることがない。  

 

> 民主的な議会の開設や天賦人権論は、天皇主権・天皇神格化の前に封じ込められてしまった。 >ここに日本とアジアの不幸が生まれた。 >教育勅語と国家神道による神社参拝が、幼児期の日本人頭脳を改造してしまった原動力である。 > 「天皇のために死ぬことが誇り」という想定できない奴隷人間を作り出してしまった。

 

そうですね。序列信仰の極みですね。   

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

我が民族の序列メンタリティは国がひっくり返った後にも変わりませんでしたね。新憲法の前文には、 ‘・・・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。’ と高らかに宣言しています。地位とは国際社会の序列順位の事で、国際問題に関する問答には関心を持たずにひたすら順位の向上を待ち続ける奇異な民族の代表として存在します。序列メンタリティが邪魔になって問答ができないのか、問答ができないために序列メンタリティから離れられないのか。英語の習得力が不十分なためか。  

 

>これに似た政権は地球上に存在しない。 >明治官僚の悪辣さを象徴して余りあろう。 >背後に、日本を代理戦争に狩りたてた欧米の列強も控えていたことも重要である。  

 

日本人には意思がない。日本人の行為には受動があって能動がない。被害者意識があって加害者意識 (罪の意識) がない。実に恨めしい世の中になっている。   

 

><治安維持法による恐怖政治>  > むろん、この政治的カラクリを見抜いた民権派・自由主義者・共産主義者・リベラルな宗教者は少なく無かった。  

 

しかし理屈をつけてそのからくりを説明できる日本人はいなかった。    

 

>これら抵抗勢力を屈服させることが、時の政府の主要な仕事になった。 > その手段・方法が治安維持法である。 >体制に抵抗する団体・個人を、片端から獄につないでいく。 >恐怖政治である。 >天皇批判に重罰を加える体制の確立である。 >これを徹底した。 >天皇に従順な日本人奴隷を徹底化させることが、軍国主義化と侵略戦争を可能にしてゆく。

 

日本人には意思がない。日本人は典型的な ‘指示待ち人間’ ですからね。    

 

><財閥のための天皇制国家主義>  > この天皇制国家主義の最大の悪用・利用者は、政商から財閥となった巨大資本である。  

 

日本人は思考を停止している。だから、無哲学・能天気である。それだけに処世術 (損得勘定) が発達していて、慾に歯止めがかからない。   

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定がわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。    

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。  

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

 

 

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閲覧数244 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/11/20 22:36
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