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2022年01月17日(月) 

 

 

 

>373936        日本人の「野生の思考」を再生する  >匿名希望 ( 23 )      22/01/12 PM08

>日本人の活どん底問題には、本来の「働く=はたをらくにする」でなくなっているからではないか?  >自然も人も支配するものではなく、一体化し何かを生み出すものであったはず。  

 

自然界はそのようになっていますね。    

 

>以下、引用(リンク)

>レヴィ=ストロースは、文化人類学者として世界中をフィールドワークした人物として有名ですが、哲学者でもあります。 >日本にも2、3回来ていて、当時彼が「人間にとって労働とは何なのか」を研究していたこともあって、日本の職人の働き方を観察しました。 >漆塗りや木工の職人、陶器をつくる人などを徹底的にリサーチして、それが『月の裏側』という本に書かれています。 >彼がその観察で理解したのは、西洋人の「働く」と日本人の「働く」は違う、ということでした。   

 

そう言われていますね。西洋人は積極的で、日本人は消極的ですね。      

 

>西洋人の労働というのは、自分の頭にあるプランを完璧に対象とか自然にあてはめる。 >たとえばコンクリートで何かをつくるとしたら、完全に材料をペースト状にして、自分が想像した設計図にあてはめて型をつくる。  

 

そうですね。彼らは自己の考えを表現しますね。頭の中の内容を頭の外に作り上げますね。      

 

>ところが日本人は違います。 >たとえば石垣。 >自然の石をどう組み合わせたら石垣になるかを考える。 >陶器をつくる人は「この土がなりたがっている形を引き出す」と言ったり、仏師も「私は何もしていない。 >この木の中に眠っている仏様を掘り出しただけだ」などと言ったりするわけです。  

 

そうですね。日本人には意思がない。日本人には考えというものがない。思考停止ですね。無心というのですかね。   

     

レヴィ=ストロースはそこに気がついた。 >つまり、日本の職人は主体的に何かを支配しようとするのではなくて、素材そのものが持っている素晴らしさ、潜在力を引き出そうとする。  

 

そうですね。日本人には意思がない。日本人は自然の中に溶け込んでいますね。     

 

>これを彼は「野生の思考」と呼んでいますが、それが日本人の働き方であって、いまの西洋人が失っていることだ、と言うのです。  

 

そうですね。アニマルは全て野生の思考をしていますね。日本人もアニマルもすべてが自然の中に溶け込んでいますね。      

 

>そして「日本人にこそ学べ」と。>あらゆるものを開発して消費しつくしてしまう、先がないような文明のつくりかたではなくて、日本人の、受動的に何かを引き出そうとする働き方こそが、人間の労働に豊かさを取り戻す方法だ、ということを間接的に言っている。

 

日本人には意思がない。だから、受動があって能動がない。世の中・世界はいつまでたっても変わらない。これが自然の姿です。           

 

>『月の裏側』はほとんどが講演録で、体系的にまとまっていないから、深読みが必要とされる部分もありますが、僕はこれを読んで深い感銘を受けました。 >自分の仕事を振り返ってみると、自分の頭の中のプランを現場に押しつけて、自分のやりたいことだけを実現しようとしていた。 >やはり支配していたな、と思いました。 

 

日本人には意思がない。だから、日本人が支配する場合は意思 (理性・理由・適当) の力ではなくて恣意 (私意・我儘・身勝手) の力でしょうね。だから、危険視されていますね。      

 

>支配からは生み出しえないもの    

>秋満:夫婦の間でも職場の人間関係でもそうですが、人間というのはどうしても他者を支配したくなるわけです。 >でも、本当にすごいことが起こるのは、相手の内発的な力が引き出される場合です。 >誰も考えなかったような素晴らしいことが起こる。 >そういうものが「いい仕事」と言えるんじゃないかと思います。  

 

それは創造力によるものでしょうね。    

 

>安田:『平家物語』に宇治川の合戦の場面があります。 >流れの激しい宇治川を、騎馬で渡らなければならない。 >それをリードした武将の指示は、まず強い馬を川上に置く。 >そして、その馬に川の流れを堰き止めさせて、緩くなった川を弱い馬に渡らせる。 >それでも遅れたものは弓の端を取らせて引っ張り、絶対に置いて行ってはいけないと。 >そして渡るときには、川の底に足がつくときはできるだけ手綱を緩めて自由に歩かせよ、馬の足がつかなくなり、思うように動けなくなってはじめて手綱を締めて泳がせよと。>それで300騎が渡り切った。 >馬の能力を最大限引き出せ、ということで、これは非常にレヴィ=ストロース的なエピソードですね。 

 

それは個人の配慮によるものでしょうね。   

 

>秋満:ギリシア語に「ポイエーシス」という言葉があって、これは潜在的なものを引き出すということです。 >一方で「プラクシス」というのがあって、自分のプランを相手にあてはめて支配する方法です。 >もともとギリシアには両方の働き方があった。 >ところが西洋世界が近代化し労働が効率的になっていく過程で、ポイエーシス的な部分が失われて全部プラクシスになってしまった。 >レヴィ=ストロースがすごいのは、日本人の働き方を見て、西洋人ももう一度ポイエーシスを取り戻そうよ、考えたところです。  

 

それはよかったですね。労働者にはマニュアル人間とノンマニュアル人間の区別がありますね。それと似た区別ですね。       

 

>安田:プラトンの『パイドン』で、ソクラテスが死ぬ直前に詩を書き始めるんですよ。 >そのときにロゴスを使ってはいけない、というんですね。 >ミュートスを使うんだと。 >ロゴスは支配、ミュートスは自然と言えます。 >詩というのはつくるものではなくて、生成されるものなのです。 >それをソクラテスは死の直前に気づいた。 >内発的に沸き出てくることをただ書いていく、それこそが詩だと。  

 

日本人の歌詠みに似ていますね。  

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っている。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。プラトンの対話篇から、例として『クリトン』をあげてみよう。この対話は、明日の死刑執行を前にして、夜明けに、獄中のソクラテスをクリトンがたずねて、脱獄をすすめるところからはじまる。もちろんソクラテスは寝ている。だがどう読んでみても、ソクラテスが起き上がって、威儀を正して、法の遵守を説いて、クリトンに反論したとは思えない。ソクラテスは、おそらく最後まで寝っころがったままで話しているのだ。従って、この場合、純粋に、ソクラテスの言った言葉 (ロゴス) だけが問題なので、彼の態度や語調は全く問題にされないのである。日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)  

 

>秋満:よく「詩神が降りてくる」と言いますが、書こうとすると上手く書けない。>詩作というのもどちらかというと受け身の行為なのですね。  

 

そうですね。感受性によるものでしょうね。  

 

>さて、これまでの話に共通するのは、受動的な態度、受け身の姿勢でいることは、主体的に何かを支配しようとすることとは違う何かを生み出す、ということではないでしょうか。  

 

そうですね。能動的な態度とは違ったものを生み出しますね。    

 

>フランクルにおける人間は「人生から問われる」という意味で受け身の存在だし、『モモ』では「耳で聞く」という受け身の行為が重要なテーマでした。>そしてレヴィ=ストロースが発見した日本の職人の働き方も、自分が支配するのではなくて、対象の良さを引き出すという受け身の姿勢を体現しています。    

 

そうですね。日本人は受け身しかできませんからね。日本人は常に受け身の重要性を強調して、受け身の練習を欠かしませんね。      

日本人には意思がない。だから、能動が無くて受動ばかりがある。   

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようです。  

 

 

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閲覧数235 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/01/17 11:33
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