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2023年01月20日(金) 

 

>あの頃バカにしてたおっさん、ゴメン!「歳はとったけど中身は10代まま」の真意が理解できた40代の声に共感   >まいどなニュース の意見 - 昨日 12:05  

>歳は取っても人間の中身はさほど変化していないと感じる加齢あるあるがSNS上で大きな注目を集めている。   

>「ハタチの頃、まわりの40〜50代のおっさんが『いやぁ歳はとったけど中身はホント10代のままだわ』とか言ってるのを聞いて『なにを図々しいこと言ってるんだ。   

>そうだとしてもそれは成長してないってことで周りに言うなんて恥ずかしい。』とか思ってて、実際なってみてわかる。   

>高校生男子くらいです。」というエピソード。   

>現在、40代半ばだというノブさん。   

>10代の頃、バカにしていた大人たちの言葉が今になって染みてきたという告白に、SNSユーザー達からは「落ち着きが出てきたってのは単なる老化からくる体力の低下だったんやなって…」「オカンの名言『男の人なんていくつになっても小学生をひっくり返したようなもん』」「わかります。    

>図々しさの権化ですが、身体と心のギャップには正直に従うようにしてます。   

>悲しいけど(肉やラーメンで胃もたれしちゃうし深酒出来なくなった)」など数々の共感の声が寄せられている。   

>ノブさんにお話を聞いた。   

>ーー昔、年長者からこういった話を聞かされた時のご感想をお聞かせください。   

>ノブ:外見もしぐさもどこからどう見ても完全におっさんなのに何を言ってるんだ図々しいと感じました。   

>ましてや内面が10代から成長していないとは、言ってて恥ずかしくならないのかなと。    

>ーー今の年齢になられたご自身の感覚をあらためてお聞かせください   

>ノブ:外見もしぐさもどこからどう見ても完全におっさんなのに、本当の芯となる部分は10代から大きく成熟したとの実感がありません。   

>もちろん大人として、社会人として長い年月を過ごしてきているのですが、その都度役割や状況に応じて知識や経験、身につけた常識、そして外見といった外殻を付け替え、大人らしく演じ振る舞い乗り越えているだけなのではないかと感じます。   

 

そうですね。外殻があって中身がない。見栄と外聞の世の中ですね。    

 

>ーー外殻で大人らしく見えるということなんですね   

>外殻を取り払い最後に残る芯の部分は、おそらく高校生頃の自分自身と大差ないのではないかと自己評価を行った次第です。   

 

あなたは正直ですね。   

 

>そう考えると若い頃恥ずかしいと唾棄したおっさんは、何の誇張も見栄もない素の評価を口にしていたのではないかと納得できました。  

 

その納得は年の功によるものですね。   

 

>ーー今回の反響へのご感想をお聞かせください。   

>ノブ:まず誤解の無いようお伝えしたいのですが、今回の内容は「かつて侮蔑していた内面の成長が止まったおっさんに、気づけば自分もなっていた自嘲」であり、決して「歳を取っても内面が若々しい自分っていいよね」ではないということです。   

 

そうですね。   

 

>いただいたご反響の多くは共感を伝えるもので、多くの人が本当の芯となる未成熟な自分を内包しながら大人や社会人、家庭人などの役割を、演じ果たし続けられていることを改めて教えていただきました。  

 

未熟な自分は当年12歳ですね。    

 

>一方で「そんなことはない」「いつまでも若いつもりで気持ち悪い」「それは教養が足りないからだ」とのご批判もいただきました。   

 

そうでしょうね。教養がない。大人になる教育がなされていない。ということですね。        

 

>ごもっともと思うところももちろんありましたが、かなり攻撃的、侮辱的な反応もありました。   

>意識と教養が高く成熟を自認している方ほどそうした傾向が強く感じられ、「成熟とは…?」と改めて考えた次第です。   

 

子供は現実 (事実) しか意識していない。大人は、非現実 (考え) の内容にまで意識が及んでいる。   

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

 

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

 

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

 

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)       

 

>◇ ◇   

>読者のみなさんはノブさんの投稿についてどう感じただろうか?   

>年齢を経たからこそわかるこの加齢あるある。   

>ぜひ若者にも知っていてほしいものだ。   

>なお、今回の話題を提供してくれたノブさんは、バイク専門の写真撮影サービス「ノブ撮り」を主催している。   

>10代以来のバイク好きがこうじ、多くのバイクファンの愛車を最も素敵な形で写真に残したいというの思いで活動しているということだ。   

>3月には京都・美山に新しいスタジオがオープンするので、ご興味ある方はツーリングがてら是非足を運んでいただきたい。   

>ノブさん関連情報  >Twitterアカウント:https://twitter.com/NobuRC30   >ノブ撮り公式サイト:https://photo-craft.net  

>(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)   

 

 

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閲覧数21 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/01/20 10:25
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