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2023年08月05日(土) 

 

>田原総一朗氏が一喝「一番悪いのは終身雇用だ。サラリーマンは正論が全く言えない」   >ENCOUNT によるストーリー •   >16 時間   

>ジャーナリストの田原総一朗氏が3日、都内で行われた映画『テレビ、沈黙。放送不可能。II』(8月19日公開)完成披露イベントに出席した。   

>当日は立憲民主党の小西洋之参院議員、ジャーナリストの金平茂紀氏、東京新聞の望月衣塑子記者も登壇し、同作をアピールした。   

>同作は、田原氏が“話しておかなければならない人物”とタブーや忖度なしで語り合う『放送不可能。』シリーズの第2弾。   

>政府がテレビ番組の放送内容に介入が出来るよう放送法の法解釈の変更を強要したという事実が、今年、立憲民主党の小西氏による総務省内部告発文書により明らかになった。   

>今回は、政府によるメディアへの圧力の実態をテーマとして、真実をつまびらかにする。   

>小西氏は「今日この日があるのは、テレビの報道の自由が守られているのは、私に文書を提供してくださった本物の国家公務員の方がいたからですね。   

>普通だと出ない文書ですね」と切り出し、「今、『君たちはどう生きるか』という映画が大ヒットしてます。   

>トラの威を借りるわけではないんですが、この映画のテーマは『君たちはどう生きるか』。   

>大切の価値はなにか。   

>ジャーナリストはジャーナリスト、官僚は官僚、政治家は政治家。   

>それぞれ守り抜かなければならない生き様があると思うんですけど、その生き様を果たしてくださった方がいるから、本日、この日があると思うんです」ととつとつと語った。   

>田原氏は「よく小西さん、立ち上がる気持ちになったね」とねぎらいつつ、「昔、宮沢喜一が銀行を救うために公的資金の投入をしようとした財務省が反対。   

>全省庁も反対。   

>マスコミも全部反対。   

>当時、宮沢さんが総理大臣の時に『この国はつぶれますよ。   

>この国は官僚主導制なんだ、政治主導にしなければならない』と言った。   

>その後、安倍さんが内閣人事局を作った。   

>これをやりすぎて、官僚がみんな、政治家に忖度(そんたく)するようになった」と国会と省庁の関係性の歴史を語った。   

>さらに田原氏は「なんで皆、声を上げないの?    

 

声を上げても展望がない。原因は日本語文法の問題にあるのですからね。   

 

>保身なんかどうでもいい。   

 

飛んで火にいる夏の虫になるでしょう。    

 

>一番悪いのは終身雇用だ。   

 

我が国には序列制度がある。人間は序列人間になる。協力は序列による協力による。序列を外れたら大変なことになる。だから、村八分・非国民・外人になるのが恐ろしい。言論の自由などあって無用のものである。             

日本人には意思 (will) が無くて恣意 (self-will) がある。意思は文の内容になり意味があるが恣意 (私意・我儘・身勝手) は文にならず意味がない。日本人には討論 (理詰めの議論) が無くて談合 (腹の探り合い) がある。意思疎通 (相互理解) が無くて恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) がある。 意思決定 (理性判断) が無くて恣意決定 (盲目の判断) がある。恣意決定では説明責任を負うことは難しい。だから、事後処理はうやむやになる。極めて危険な馴れ合いの政治が行われている。  

 

>サラリーマンは正論が全く言えない。   

 

不自由を常と思えば不足なし。   

 

>言ったら左遷だからね」と持論を展開していた。   

 

御扶持に離れてはいけない。   

 

>ENCOUNT編集部   

 

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。   

 

 

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閲覧数171 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/08/05 02:24
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