>東京新聞 >桐生悠々の警告は現実になった…歴史に残る社説「関東防空大演習を嗤ふ」を90年後の今、読むと >8 時間 > 1933年、「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」と題した社説で軍部の怒りを買い、信濃毎日新聞を退社した桐生悠々(1873〜1941年)。 >「反骨のジャーナリスト」の名を歴史に刻んだ掲載から、今月11日で90年となる。 >空襲の時代と日本の破局を予見した評論は何を訴え、どんな教訓を残したのか。 >全文を専門家と読み解いた。 >(西田直晃、岸本拓也) >【全文掲載】信濃毎日新聞社説「関東防空大演習を嗤ふ」 >◆空襲が現実の脅威ではなかった1933年に書かれた > 桐生が批判した「関東防空演習」は東京府と神奈川、埼玉、千葉、茨城の4県で3日間実施。軍官民の10万人以上が参加した。 >AK(現NHK)のラジオで全国中継され、桐生はその放送を聞いた上で、約2000字の社説を書いた。 > 「かうした實戰(じっせん)が、將來(しょうらい)決してあつてはならない」 > 「架空的なる演習を行つても、實際には、さほど役立たない」 > 前半から辛らつな言葉が並んでいる。 >聖心女子大の土田宏成教授(日本近代史)は「かなり激しい筆致だが、言っていること自体は当時の常識だ。 >現実を見据えた行動が必要だと、軍に警鐘を鳴らした」と解説する。 >社説を読み進めていくと、大演習をなぜ嗤うのか、理路整然とした説明が展開される。 > 「敵機を迎へ擊(う)つても、一切の敵機を射落とすこと能(あた)はず、その中の二三のものは、自然に、我機の攻擊(こうげき)を免れて、帝都の上空に來り、爆彈投下する」と強調し、本土空襲の警戒の必要性を説いた。 >1933年当時、空襲はまだ現実的な脅威ではなかったが、実際にはサイパン島が陥落したことで、44年11月から米国の本土空襲が本格化。 >高度1万メートルを飛行するB29を迎撃可能な戦闘機はほとんどなく、45年3月の東京大空襲以降は夜間に集中したため、迎え撃つのはより困難になった。 >◆「空擊は幾たびも繰り返へされる可能性がある」 > 土田氏は「こうした状況がやがて訪れることを当時から想定していた。 >にもかかわらず、敵機の本土来襲を前提とした訓練を実施する軍部に無責任さを感じたのだろう。 >もともと、反軍的な考えを持っていた桐生にとって、軍部を徹底的に批判する好機と捉えた」とみる。 > 社説では他にも、「木造家屋の多い東京市をして、一擧(いっきょ)に、焼土たらしめる」「關東地方大震災當時(とうじ)と同樣(どうよう)の慘狀(さんじょう)を呈する」と戦争末期の惨状を予見したかのような警鐘もあった。 > 実際、米軍はナパーム油脂を用いたM69焼夷(しょうい)弾を開発し、43年に日本家屋の模型を造って実験。 >東京大空襲の際には約300機から、こうした焼夷弾や爆弾約1700トンがばらまかれ、約10万人が死亡した。
太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。 太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。 日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。 人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。 好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦争でも 原爆投下にゃ勝てやせぬ。泣いて崩れた敗戦日。 ‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
> 埼玉大の一ノ瀬俊也教授(日本近現代史)は「関東大震災の被害で、日本家屋が火に弱いことは他国にも明らかになった。 >第1次世界大戦で空襲の効果が実証されたこともあり、国際情勢にも通じている桐生には当然の注意喚起だった」と話す。 > 桐生が「かうした空擊は幾たびも繰り返へされる可能性がある」と念入りに指摘したように、総務省の資料によれば、東京への空襲は終戦までに122回を数えた。 >全国の都市に拡大し、原爆を含めて40万〜50万人もの命が奪われた。 > 「市民の、市街の消燈(しょうとう)は、完全に一の滑稽」と一蹴する根拠とした自動操縦や赤外線探知は、戦時中に実用化されることはなかった。 >とはいえ、一ノ瀬氏は「実際には後の時代のミサイル開発を待たなければならないが、科学の進歩が速い時代。 >全くおかしいとは思わない。 >敵の飛行機に領空内に侵入された時点で負けだから『滑稽』という強い言葉を使ったのだろう」とみる。 > 社説は「帝都の空に迎へ擊つといふことは、我軍の敗北そのもの」「途中これを迎へ擊つて、これを射落すか。又(また)はこれを擊退しなければならない」と結論付けた。 >前出の土田氏は「軍部も内容についての批判はせず、『嗤うとは何事だ』との形式的な反論に終始している。 >当時の状況から考えられる極めて現実的な意見を真っ正面から論じたのが意義深い」と語る。 >◆空爆の危険性を理解していたからこそ > 航空機による空爆が本格化したのは、第1次世界大戦からだ。 >歴史家の田中利幸氏の「空の戦争史」(講談社現代新書)によると、開戦間もない1914年8月には、ドイツ軍機がパリ上空に現れ、駅を狙って小型爆弾を投下。 >その後もパリは頻繁に空襲を受け、連合国側も報復でドイツ領を無差別爆撃し、数千人規模の市民が犠牲になった。 > 空爆の有用性に気づいた英国やフランスは20年代以降、イラクなどで植民地化に抵抗する人々の集落を無差別爆撃するなど積極的に空爆を仕掛けた。 >敵軍施設だけでなく、市民も爆撃対象にして戦意を失わせる「戦略爆撃」の名の下に、市民への無差別空爆が正当化されていく。 > 桐生が社説で空襲に警鐘を鳴らしたのは、こうした海外の惨状を知っていたためとみられる。 >田中氏は「英語の文献を数多く読んでおり、情報を得ていた。 >空襲を受けて都市を防空するような状況になったらおしまいだということをよく理解していた」と指摘する。 > ただ、既に軍人の間では、航空機の迎撃が困難であることは言われていた。 >大阪教育大の三輪泰史名誉教授(日本近現代史)は「当時の桐生は、反軍的でも反戦的でもなかった。 >論考をみると、むしろリベラルな愛国主義者、穏健な帝国主義者とも言え、日本帝国のためにならない施策に対しては、相手が軍部だろうと歯に衣(きぬ)着せずに批判した。 >社説もそのスタンスから書かれた」とみる。 > 桐生としては、防空演習に意味がないと「当たり前」のことを書いたはずだが、退社に追い込まれた。 >三輪氏は「軍としては痛いところを突かれたのでは。 >筆禍事件として桐生攻撃のキャンペーンに持ち込みたいところだろうが、それは逆に軍の無策ぶりを広く知らせることにもなりかねない。 >なので、新聞の不買運動をすると圧力をかける陰湿なやり方で桐生を追い出したのでは」と推察する。 > 日本軍も満州事変初期の31年10月の中国・錦州市への都市空爆を皮切りに、上海や重慶などに無差別爆撃を繰り広げた。 >第2次大戦では独英など欧州各地でも市民が空襲の犠牲となった。 >桐生は信毎を退社後も空爆がもたらす甚大な被害に警鐘を鳴らし、米国との開戦を避けるよう訴えた。 > 晩年は空襲で人類が不戦に目覚め軍縮の時代が来ると予想しつつ、太平洋戦争が開戦する3カ月前の41年9月に没した。 >その後、日本各地への空襲や原爆投下という形で、桐生の懸念は現実となった。
マッカーサ元帥は日本人を以下のように考えていました。 ‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
英米の高等教育は子供が大人になる為の教育である。子供は現実 (事実) に関する知識のみを持っているが、大人には非現実 (考え・哲学) に関する知識もある。それを若者に持たせるのが彼らの高等教育である。 日本人には非現実に関する知識がないのでわが国では英米の高等教育がなりたたない。だから、日本人は子供らしくみえる。 非現実の内容を現実の内容に転換する方法を見つけることができたら、人間固有の創造力を発揮したことになる。日本人は創造力に欠けている。
>◆「防衛費を増やせば日本が守れるというのは幻想」 > 翻って現在、ウクライナや台湾の情勢を受けて岸田政権は防衛費増強に走る。 >北朝鮮の発射したミサイルで全国瞬時警報システム(Jアラート)が鳴り、弾道ミサイルを想定した住民避難訓練が各地で行われ、列島を有事ムードが覆う。 > 「桐生が批判していたことを繰り返している」と前出の田中氏は指摘し、こう続ける。 >「空襲を受けたら防空できなかったのと同じように、もし核ミサイルが撃ち込まれたら防ぐことは難しい。 >日本が防衛費を増やせば、中国や北朝鮮を刺激し、軍拡はエスカレートする。 >それで日本が守れるというのは幻想だ。 >日本が平和主義を打ち立てるには、過去の戦争責任と向き合ってアジア諸国と誠実に対話を続けるしかない」
そうですね。対話が必要ですね。抑止力も必要ですね。 日本人は議論下手である。だから相手と交渉ができない。しかたがないから世界の事を自分一人で決める。この世は自分と相手とで成り立つ世界であるということを忘れているようだ。 日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。 日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)
>◆デスクメモ > 「帝都の心臓目がけて 敵機一挙に壊滅を期す」「見事二機に命中」「煙草(たばこ)の火も消せ 空から見えるぞ」。 >東京新聞の前身「国民新聞」「都新聞」が関東防空演習を報じた見出しだ。 >桐生筆禍を招いたのは、軍事に染まった世相。
指示待ち国民の悲劇ですね。
>戦争になる前からあらがわなければ、止まらない。(本)
そうですね。ナウな感じの日本人には難しいことですね。
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