>朝日新聞デジタル >自民茂木派の船田氏、裏金疑惑「派閥解消を本気で議論しなければ」 >朝日新聞によるストーリー >・15時間 >■自民党・船田元衆院議員(発言録) > (自民党安倍派の裏金作りの疑惑などについて)自民党全体が国民から懐疑の目で見られ、自民党議員が国民からの信頼を失いつつあるという、極めて危機的な状況に置かれている。 >内閣総辞職に追い込まれたり、さらには政権から引きずり下ろされたりする可能性もある。 > 岸田(文雄)総理は人事で、疑いをかけられた大臣・副大臣を排除し、派閥主催の忘年会、新年会、パーティーは当面自粛すると宣言したが、これだけでは済まされない。
そうですね。 派閥主催を当面自粛するだけでは同じことの繰り返しになりますね。
>茂木(敏充)幹事長が、派閥パーティーであっても党本部が監視・関与すると表明したが、これも不十分だ。
そうですね。不十分ですね。わが国の派閥政治の根は深い。日本人は思考を停止している。だから、無哲学・能天気の人間になっている。これが大きな問題である。
> 以前に比べれば党本部の役割も権限も、かなり強まってきた。 >政治資金も人事も、派閥ではなく党本部に集約しても支障はないはずだ。 >政治改革の原点に立ち返り、派閥の解消・廃止について本気で議論しなければ、国民の信頼は取り戻せない。
日本人は政治音痴ですからね。政治家には自己の政治哲学がない。政治音痴を十把ひとからげにして取り扱う組織が派閥ですね。日本人は大人になる必要がありますね。 マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。 ‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
>(自身のメールマガジンで。船田氏は茂木派に所属)
それがどうした。日本人の社会には木鐸 (ぼくたく: 世の人を教え導く人) が必要ですね。ジャーナリストはその木鐸になれるのか。それとも同じ穴のむじなか。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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