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2024年06月02日(日) 

 

>毎日新聞   >大学の再編・統合は「国公私立の枠を超えて」中教審中間まとめ   >毎日新聞によるストーリー‣   >1日  

> 文部科学省は31日、大学などの在り方を検討する中央教育審議会(文科相の諮問機関)の特別部会に中間取りまとめの素案を示した。   

>この特別部会では伊藤公平・慶応義塾長が国立大の学費の引き上げを提案したことが話題になったが、取りまとめ案には今後の議題として「質の高い高等教育のための授業料、公費支援、寄付金などの在り方」が挙げられるにとどまった。   

 

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに言語能力の発達する頃を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。

日本語は現実の内容だけを表す言語である。哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実ばかりの言葉 (日本語) を話す人が非現実の内容を語る学習をすると常に失敗する。嘘(きれいごと) ばかりを語っていては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。それで日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国の有権者はあらかた高等教育の真価を体得していない。だから高等教育の無償化は国民の総意が得られない。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗し続けているので、何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制の下にある。個人の哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっている。彼等の出世は高等教育の賜物である。

当の日本人の若者はいまもなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。これは日本語文法に階称 (hierarchy) がある為である。’上と見るか・下と見るか’ の判断に囚われざるを得ない。 難関出身者が序列社会でどれほど優位に立つているかの話ばかりで持切りである。それで入試地獄が存在する。世界に関する注意力の不足で日本人は井の中の蛙になっている。国際社会で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。  

 

> 取りまとめ案は、少子化で2040年の大学進学者数が現在の約63万人から2割減の約51万人となり、その後10年間は50万人前後で推移すると推計。   

>定員未充足や募集停止、経営破綻となる大学がさらに生じることも予想され、国公私立の枠を超えた連携、再編・統合についてより深化した取り組みが求められるとした。   

 

日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) が無い。だから、我々の問題は現実に関するものみ限られている。浅薄でない、深い洞察力が必要である。       

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。     

 

> また、今後検討を深める必要がある論点として、財源の確保を挙げた。  

>大学には人材の育成や研究基盤としての役割があるとして、公的な支援だけでなく民間からの投資も含めた多様な確保策を講じる必要性を指摘した。

 

我が国には社会の木鐸 (ぼくたく:  世の人を教え導く人) が必要である。わが国のジャーナリストはその要請に応える必要がある。事実の山と木鐸不在だけがあったのではわが国は立つ瀬なし。‘それがどうした’‘それでどうした’の問いに答えが出せない。我々には絶望の未来が待っている。今こそ我が国民の自覚すべき時である。      

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

> 特別部会は25年3月をめどに一定の結論を出す。   

>【井川加菜美】   

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数182 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2024/06/02 16:05
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