>日刊スポーツ >エストニア出身の元大関把瑠都が白鵬さんの構想に賛同「相撲はもっと世界に広まる可能性がある」 >日刊スポーツ新聞社によるストーリー・ >1時間 >大相撲の元大関把瑠都のカイド・ホーヴェルソンさんが14日、都内のホテルで開催された元横綱白鵬翔さん(ともに40)のパーティーに出席した。 >現在は母国エストニアで、子どもたちに相撲を教えており、白鵬さんが掲げる「世界相撲グランドスラム」の構想に賛同。 >「相撲は分かりやすいし、もっと世界に広まる可能性がある。 >世界中の子どもや女性に魅力を伝えていくのは、すごくいいと思う」と、しみじみと話した。
そうですね。
>「今は、まわしの締め方から教えています。 >僕がやる大会は250人とかしか集まらないけど」と、謙遜して話した。 >250人の参加者と、その家族や関係者らを合わせると1000人規模の大会を開催できるのは、把瑠都の現役時代の任期、知名度があればこそ。
そうですね。
>白鵬が旗振り役となって大会を開催すれば、さらに大規模になると予想する。 >「僕は引き続き、ヨーロッパで相撲の魅力を伝えられたら」。 >横綱、大関として土俵を沸かせた両者が、世界を舞台に手を取り合う日は遠くなさそうだ。
そうですね。目出度いことですね。 我が国の開国は常に外国人に導かれていますね。 日本人には意思がない。優柔不断・意志薄弱に見える。 意思の無い人間には責任がない。 責任の無い人間には信頼がない。信無くば立たず。
アメリカ人は ‘本人がそれで良いと言っているのだからそれで良いのだ’という。 日本人は ‘皆が良いと言わなければだめなのだ’という。 日本人の判断には個人主義がない。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
https://ameblo.jp/hohe10/entry-12909419080.html
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