>FRIDAYデジタル >過去「最多」更新の外国人労働者… 高度外国人じゃない方の『「低度」外国人』リアルレポート >FRIDAYデジタルの意見・ >12時間・ >「国が歓迎している外国人材に対するアンチテーゼです」 >少子高齢化に伴う人手不足が深刻化し、外国人労働者への依存が強まる一方の日本。 >厚生労働省が今年1月に発表した「外国人雇用の届出状況」(’24年10月末時点)によると、日本の外国人労働者数は230万人を超え、過去最多を更新した。 >全雇用者に占める外国人労働者の割合は約3.8%に達している。 >日本社会はもはや、外国人労働者なしには立ち行かない。 >そんな状況だからこそ、読んでおきたい1冊がある。 >今年4月に発売された、外国人労働者の実像に迫ったディープなルポルタージュ『「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本』(角川新書)。 >著者は、’19年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したルポライターの安田峰俊さんだ。 >本書の「はじめに」で、安田さんはこんな指摘をしている。 >外国人労働者に関する言説は紋切り型が多く、搾取されるかわいそうな人々として同情するか、排外主義的な思考で「叩き出せ」と主張するか、いずれかにパターン化している。 >だが彼らは、絶対的な弱者でもなければ極悪人でもない。 >《昨今話題の外国人労働者問題や移民問題の主役たちは、よくも悪くも人間なのである》と。 >その言葉通り、本書にはステレオタイプに当てはまるような外国人労働者は登場しない。 >安田さんが一切色をつけずにフラットな目線で描き出しているのは、「人間」であるがゆえに、人情味やユニークな面もあれば、腹の立つことや呆れることもする外国人労働者たちのリアルな姿だ。 >それにしても、『「低度」外国人材』とはちょっと挑発的なタイトルである。 >これは安田さんの造語なのだが、タイトルにはどのような思いが込められているのだろう。 >まずは、その質問からぶつけてみた。 >「政府やジェトロ(日本貿易振興機構)などの公的機関が使用している『高度外国人材』に対するアンチテーゼです」(以下、安田さん) >国はどのような外国人を「高度外国人材」と位置づけているのか。 >出入国在留管理庁のホームページにある説明をかいつまむと、こうなるだろうか。 >「学術研究」「専門・技術」「経営・管理」などの分野で実績があり、学歴や収入が高く、日本の産業にイノベーションをもたらすとともに、日本の経済成長に寄与することが期待される人材――。 >これが、国が「積極的に受け入れるべき」としている外国人材像だ。
そのような外国人の人材は印欧語族からということになりますね。 日本人は子供の学習成果に関心がある。アメリカ人は大人の学習成果に関心がある。どちらがより賢い人間であるといえるか。 子供の勉強は現実の内容 (事実) を覚えること。大人の勉強は非現実の内容 (考え・哲学) を自分自らが獲得すること。 日本の大学は、入るのが難しくて卒業が容易である。大学は、子供の学力を比較して入学者を選抜する。しかし大学における大人の学習効果には世間も大学当局も気にかけない。わが国には高等教育の成果に期待するものは誰もいない。 アメリカの大学は、入るのは易しいが卒業が難しい。大学は学内の大人の学習成果を見て、学生の卒業の合否を判定する。自己の見解を論文にして公表すれば大学による独創の認定により学位 (学士・修士・博士) が得られる。 社会は大人の勉強成果に関心を集中させている。高等教育の成果に社会の発展が依存している。 日本人は、没個性の序列主義社会の中でのナンバー・ワンを目指すのではない。考えの内容は個人個人で違っているのであるから、個人主義社会のオンリー・ワンを目指すべきである。さすれば過当競争がなくて自己実現が可能になります。
子供は未熟な大人である。競争をすれば子供は大人に負ける。 マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。 ‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。 指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考えを植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下) マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。だが、日本人は彼が考えるような知恵遅れの民族ではない。日本語文法には時制 (tense) というものが無いのである。待てど暮らせど非現実 (考え・哲学) を搭載する構文の内容は日本人の口からは出て来ない。つまり自己の考えの内容が出て来ない。これが英米人の子供の行く末と違う所である。
>「日本に来ている外国人労働者の大部分は基本的に、国が歓迎する“高度”な人材の枠に入る人たちではありません。 >しかも、日本社会は“高度”という概念に属さない外国人材に強く依存し、彼らを必要としています。
そうですね。わが国には人手不足に話は山ほどあるが、頭脳不足に話はない。
>そうであれば、大多数を占める在日外国人にはどのような名称が然るべきか。 >“高度”な人材がいるとするならば、真逆の属性を持つ“低度”な人材も存在するはずである。 >そう考えて、このタイトルを採用しました」 >では、「低度外国人材」の定義とは? >国の説明を裏返せば、身も蓋もない表現だが「学歴や年収が低く、専門知識も特別な技能もない、単純労働に従事する人材」ということになるだろう。 >そして皮肉なことに、製造業も建設業も、農業や漁業も、介護の現場も、コンビニや牛丼店も、国が求める人材要件に該当しない外国人労働者に頼らざるを得ないのが日本の現状だ。 >『「低度」外国人材』というタイトルは、日本の外国人労働者政策の矛盾や建前と実態のズレについて、問題提起しているとも言えるかもしれない。
そうですね。
>「『こういう外国人が日本に増えると嫌だな』という感覚がありました」 >実は、本書は’21年刊行の単行本を加筆修正のうえ新書化したもの。 >新型コロナ流行前の’18年からコロナ禍真っ只中の’20年、加えてポストコロナの’22~’24年に「低度外国人材」たちを取材してまとめたルポが収録されている。 >「私が取材対象にするテーマはどうも早すぎるきらいがあって、話題になる前に書くことが多いんです。 >この本もそうでした。 >執筆していた’20年時点では、在日ベトナム人問題を追っているのは私くらいで、メディアはほとんど反応していなかった。 >特に不法滞在や不法就労のベトナム人である『ボドイ』に関しては、警察ですら取り扱いに慣れていない感じだったんです。 >’20年の時点で私には、『こういう外国人が日本に増えると嫌だな』『絶対に困ったことになるぞ』といった感覚がありました。 >『「低度」外国人材』には、当時のイライラ感やモヤモヤ感、違和感や不快感が濃厚に出ています。 >その後、多くの事例を見るうちに慣れてしまって感覚が麻痺した部分もありますが、5年前に私が持った問題意識は、今のほうが理解されやすい社会状況になっている気がするんです。 >だから、いいタイミングで新書化されたと思っています」 >本書でも明かしている。 >《私は本来、移民の受け入れにはかなり寛容だったはず》で、《仕事柄、海外出張が多いので、平均的な日本人と比べてもかなり異文化に慣れているはず》だったが、「低度外国人材」を取材する中で《不快感を覚えてしまった》と。 >それは、どのような人たちに対してなのか。 >たとえば、他者の支援を当てにして安易な考えと怠惰な姿勢のまま子連れでの日本定住を望んでいる元技能実習生のベトナム人女性、日本語をまともに身につける気も日本の社会に積極的になじむ気もないのに日本にずっと住むことを目標にしている偽装留学生のベトナム人夫婦、技能実習制度がどういうものかもわからずワーキングホリデー制度と勘違いして日本に来た技能実習生の中国人女性……などだ。 >安田さんはもともと中華圏を専門とするライターで、在日ベトナム人たちの現状を追いかけるようになったのは’17年の末からだという。 >ベトナム人技能実習生や偽装留学生、不法滞在者などについては、驚くほど怠惰だったり、自ら望んで不法滞在者になったり、同胞を搾取する側に回ることもあると指摘する。そのうえで、彼らの問題を調べ始めると、技能実習生本人だけでなく、ベトナムの送り出し機関も日本の監理団体や雇用主も、《関係者が全員「ろくでもない」という構図にしばしば直面する》と書いている。 >「いわゆる『低度外国人材』ポジションの人たちは、条件を精査する情報力がないので行き当たりばったりで物事を決め、現地のブローカーに半分だまされて日本の地方に働きに来ています。 >それで来てみると条件が違うから、SNSで『高収入』や『高額報酬』という誘い文句を見て技能実習先から逃げ出し、闇バイトのようなことをする。 >そのポジションには、かつては中国人がいました。 >’90年代は福建省から来た人がめちゃくちゃなことをしていたんです。 >それが’10年代の半ばごろから、中国人が豊かになったことで、ポジションの担い手がベトナム人に置き換わっているわけです」 >「高度外国人が日本で日本人労働者を雇用する…現実にもう起きています」 >外国人技能実習生の国籍別人数が、中国人を抜いてベトナム人が最も多くなったのは’16年だ。 >「この本に出てくるベトナム人たちを取材したのはコロナ禍初期の’20年です。 >彼らは実習先がひどくて逃げ出したものの次の仕事がないため困窮し、ボドイになって悪いことをしないと食べられない状態でした。 >ただし当時は、ブタやニワトリ、果物を盗むといった、人に危害を加えない犯罪が多かった。 >コロナ後はといえば、『やるぞ』と心に決めて犯行に及ぶボドイが大半を占めている。 >コロナ禍の頃は何も考えずにブタを盗んでいるだけでしたが、今は頭のいい犯罪が増えて、明らかに換金性が高いものを盗んでいます」 >だが最近は、「低度外国人」ポジションの担い手が、ベトナム人からカンボジア人に入れ替わりつつあるという。 >「日本とは逆に、ベトナムの経済は成長しています。 >ベトナム人が日本に来て働く金銭的なメリットは薄れている。 >賃金水準が低下した日本には、カンボジアからしか低度外国人材が来なくなっているということです。 >日本の外国人労働制度は、今後もおそらく変わらないと思います。
そうですね。日本人は頭を使うのが嫌いですからね。
>結局、中国人が来なくなったらベトナム人、ベトナム人の次はカンボジア人と、日本より貧しい国から『低度外国人材』を連れてくるでしょうね」 >日本がさらに貧しくなれば、中国人の労働者たちがそうだったように、ベトナム人もカンボジア人も日本の労働現場から数を減らしていくだろう。 >逆に、“高度”な外国人材が“低度”な日本人材を雇用するようになるかもしれない。
そうですね。印欧語族は高度な人材ですからね。彼らは日本人を低度の人材として使いますね。
>そんな時代が来はしないだろうか。
ありそうですね。外資系の会社はそうですね。
>「もう、そうなっています。外国人が日本で日本人労働者を雇うという流れは、将来的に進行するでしょうね」 >グローバルな大企業だけではない。 >中国系企業が流入するニセコ、外国人が上に立つ特殊詐欺や闇バイト……。
日本人には指導力がないですからね。指導される方になりますね。
>「これが現実」と認識しなければならない状況に、日本はすでに直面している。
そうですね。
>▼安田峰俊(やすだ・みねとし)ルポライター、立命館大学人文科学研究所客員研究員。 (略) >取材・文:斉藤さゆり
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