>産経新聞 >「戦争責任向き合っていない」「被害者は忘れない」戦後80年見解意欲、石破首相の過去発言 >11時間・ >石破茂首相が戦後80年の節目に合わせた「見解」の発出に意欲を失っていない。 >28日には「今までの談話の積み重ねも踏まえ、適切に判断する」と記者団に語った。 >では、首相の先の大戦に対する「歴史観」とは。 >過去の発言や著書などを振り返れば、戦後の「謝罪外交」に区切りをつけて未来志向を明確にした安倍晋三首相の戦後70年談話の趣旨が塗り替えられる恐れも懸念される。 >「大いに恥じ入った」 >「わが国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり、それが今日さまざまな形で表面化しているように思われます」 >首相は令和元年8月23日付のブログで、日韓関係についてこう指摘した。 >「徴用工」訴訟などを巡って関係が冷え込む中、韓国は同22日、日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を一方的に破棄した。 >首相はブログで「(ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁いた)ニュルンベルク裁判とは別に戦争責任を自らの手で明らかにしたドイツとの違いは認識しなくてはならない」とも指摘。 >同30日付のブログでは、極東国際軍事裁判(東京裁判)を挙げて「戦争の総括を米国を中心とする連合国の手に委ね、自国で行わなかったことの代償は大きい」と重ねて強調した。
そうですね。兎角この世は無責任。日本人には意思がない。意思のない人間には責任がない。
>安倍氏「謝罪を次の世代に背負わせない」→首相「韓国と虚心坦懐に話す」 >先の大戦の戦争責任を総括する必要性を訴えるとともに、日本統治時代の「負の側面」に目を向けるべきとの思いも色濃い。 >講演などで多用するエピソードの一つが、平成14年に就任した防衛庁長官時代、シンガポールのリー・クアンユー首相(当時)と面会した際のやり取りだ。 >旧日本軍のシンガポール占領時代の実態を問われた首相は答えられなかったという。 >リー氏は「そんなことではだめだ。 >日本人が忘れてもシンガポール人は決して忘れない」と指摘し、首相は「大いに恥じ入った」と振り返る。
我が国は恥の文化の国ですね。日本人には罪 (加害者意識) がない。
>首相は著書『保守政治家 わが政策、わが天命』で、「時がたてば戦争の加害者は忘れてしまうことも、被害者は絶対に忘れないということも、身に染みて教わった」とし、リー氏の教えとして、こう引用する。 >「日本がアジア太平洋の一員としてやっていくためには、不都合な歴史、特に加害者としての歴史を直視し、それを念頭に置いて外交を展開しなければならない」
そうですね。日本人には罪がない。子供の様なもの。我が国の宗教 (神道・仏教) も罪から距離を置いている。 高橋史朗氏 (1950- )は米国の戦後の日本占領政策について、米国が「日本が二度と立ち上がれないような政策」を行ったとしており、それがその後の日本人の「自虐意識」を育てることになったと主張している。 意思がなければどうなるか。受動があって能動がない。だから、被害者意識があって加害者意識がない。罪の意識もない。これはアニマルも同じである。罪の意識のある人たちにとって、罪を知らない人たちの立ち上がりは恐ろしい。 ‘罪悪感を国民に植え付けるプログラム’ (WGIP: War Guilt Information Program) とは、大東亜戦争後の昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権回復を果たした昭和27年までの7年間の占領期間に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策として行った、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画ですが見事に失敗しました。カエルの面に水でした。わが国からは戦争犯罪人は一人も出していません。意思の無い人間に罪の存在を理解させるのは難しいからです。従ってわが国の全ての宗教は罪と離れたところに存在します。日本人には贖罪の必要がない。罪の意識に苛まれる病める魂の持ち主を救済する必要がないからです。
>「台湾は化外の地だった。韓国は国だから感情に違い」 >日韓関係などを巡って、安倍氏が「謝罪を次の世代に背負わせてはならない」と語っていたことについて、「そのためにわれわれは何をすべきなのか、韓国側と虚心坦懐(たんかい)に話し合うべきなのかもしれません」(『保守政治家~』)と指摘する。
日本人には罪がない。日本人の考えでは、謝罪は自虐ですからね。日本人には天真爛漫があって後ろめたさがない。奇妙な大人ではないか。
>首相は平成30年11月30日、早稲田大で講演した際、1910年の日韓併合について「国際法的に完全に合法だ」と述べた上で、学生らにこう説いた。 >「いかに合法であっても、独立国だった韓国を併合し、強制ではないにしろ、名字を変えていくこと(=創氏改名)が行われたことは事実だ。 >そういう歴史をどれだけ認識するのかということだ」
そうですね。それは今、中国政府が周辺民族に対してやっていることですね。文化の抹殺ですね。
>同じく日本に統治された台湾の人々が親日とされる理由については、「台湾は化外の地で、国ではなかった。 >韓国は国だった。 >そこにおいて感情の違いがある」とも語った。 >正しい歴史は複合的な視座で >戦時中の沖縄の苦境も重視する。 >「私たち日本国民はまず、先の戦争において地上戦が行われ、県民の四分の一もの死者を出したのは沖縄だけだ、という点をきちんと認識しなければならない」(『政策至上主義』)と強調した。 >「『正しい歴史』とは、複合的な視座によってのみ再構築できる」(『保守政治家~』)とも訴える。
そうですね。文化人類学ですね。
>昭和20年8月9日は長崎に原爆が投下されたのに加え、旧ソ連が日ソ中立条約を破棄した上で、日本統治下の満州などに侵攻を開始した日でもある。 >首相は、『保守政治家~』で「ソ連が日本に攻め込んだ日でもあることを報道したメディアはなかったのではないでしょうか」と疑問視し、「旧ソ連が終戦末期にわが国に対して行ったことを知っていれば、ウクライナの情勢を踏まえて今後の日露関係を論ずる際にも生きてくる洞察があるのではないでしょうか」と指摘する。
日本人は軍備があるから戦争が起こるという。トランプ大統領は軍備をおろそかにするから侵略されるという。無防備か、重装備か、どちらが正しいか。
>(奥原慎平)
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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