1,837万kW/2,056万kW (10/07 12:45)
89%
2025年08月19日(火) 

 

>産経新聞   >「アジア諸国へ加害責任に触れていない」 朝日と毎日、13年ぶり「反省」の首相式辞に不満   >5時間・   

>石破茂首相は終戦の日の15日に合わせた戦後80年談話を見送った一方、全国戦没者追悼式の式辞で、「進む道を二度と間違えない。   

>あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばならない」と述べ、先の大戦に対する「反省」の語句を13年ぶりに復活させた。   

 

そうですね。日本人は供養すれども反省なしですからね。   

 

>これに対して、朝日新聞は16日付社説で「アジア諸国への加害責任には触れておらず、何を反省し、教訓とするのかは明確でない」と苦言を呈し、「首相談話を出すべきだった」とした。   

>毎日新聞も同様の見解を示した。

>朝日は靖国参拝「戦争への反省を忘れ、過去の正当化」   

>朝日は16日付社説で、終戦の日に80年談話を発しなかったことについて「歴史の教訓を世代を超えて継承する責務にもとる」などと首相の対応を糾弾した。   

>「今ほど過去を直視し、平和国家の未来像を明らかにすべき時はない」と訴え、「今からでも、それを内外に示すべきだ」と首相に促した。   

>東京・九段北の靖国神社に加藤勝信財務相や小泉進次郎農林水産相、高市早苗前経済安全保障担当相、小林鷹之元経済安保担当相、参政党の神谷宗幣代表らが相次いで参拝したことについても、「戦前の軍国主義を支えた国家神道の中心的な施設に、政治指導者が参拝することは、戦争への反省を忘れ、過去を正当化しようとしていると見られても仕方あるまい」など持論を展開した。   

 

そうですね。日本人は供養すれども反省なしですからね。とにかく勉強嫌いですね。過去の内容について自分の頭を使うことが嫌いである。日本人の勉強は他人の受け売りばかりをやってきた。      

 

>毎日新聞の16日付社説も、首相が式辞で13年ぶりに「反省」に言及したことについて、「何を反省し、教訓とするのかについては、曖昧に述べただけだ。   

>日本が侵略し植民地支配したアジア諸国への加害責任には触れていない」と批判した。    

 

日本人には意思がない。だから加害者意識がない。意思のないものには加害責任もない。兎角この世は無責任。   

 

>終戦の日に80年談話を発しなかったことについては、「発信する機会とすべきだった」とした。    

 

良い機会でしたね。   

 

>産経「平和を叫んでも平和は守られない」   

 

空念仏か、犬の遠吠えですね。戦争をやめさせるのには首相による戦争当事国との直談判が必要ですね。  

 

>読売新聞は16日付社説で「不戦と平和の誓いを次世代に継承せねばならない」と強調した。   

 

戦わずして勝つことが何よりも大切ですね。我々は ‘善の善’ にこだわるべきです。      

 

>首相が式辞で先の大戦に対する「反省」に触れたことは論評を加えず紹介。   

>80年談話の見送りについての言及はなかった。   

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)             

 

>産経新聞は16日付紙面で「日本の『8月の平和論』に欠陥」と題したワシントン駐在客員特派員のコラムを掲載した。   

>日本で8月に叫ばれる「平和」のあり方について「とにかく戦争さえなければよい、という意味になる」と指摘し、「世界のどの国も自国防衛の軍事的な能力や意思は明確に保っている。   

>その姿勢が他国からの軍事攻勢を抑止し、平和を保持できる、という思考なのだ」と紹介した。    

>その上で「『平和』と叫び続けても、日本国の平和が守られる保証にはならない。   

 

犬の遠吠え・空念仏は空しいばかりですね。   

 

>平和とは日本と外部世界との関係の状態であり、日本国内の状態ではないからだ」とし、戦争をどう防ぐか語るべき必要性を訴えた。    

 

そうですね。隗より始めよ。(まず言い出した人自身で当たれ)  

 

>(奥原慎平)   

 

とにかく戸締りを堅固にして、各国が他国に付け入るスキを与えないことですね。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数33 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/08/19 18:50
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
のがさん
[一言]
■最近のアルバム
■最近のファイル
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このアルバムのURL
https://www.sns.ochatt.jp/blog/blog.php?key=1217031