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2025年09月07日(日) 

 

>日刊スポーツ   >麻生太郎氏に石破政権閣僚が強烈皮肉 “総裁選前倒し” 要求に「祖先返り」「まだ派閥あったの?」   >日刊スポーツ新聞社によるストーリー・   >4時間・   

>自民党の平将明デジタル相(58)が5日配信のABEMA報道番組「Abema Prime」に出演。   

>自民党の麻生太郎最高顧問(84)が、石破茂首相の退陣に向け「総裁選前倒し」を求めたことについて、痛烈に皮肉を述べた。   

>平氏はコメンテーターの1人として番組出演。   

>冒頭では、退陣圧力が強まる中、総裁選前倒しが決まる前に石破首相が衆議院を解散するとの可能性が報じられたことを取り上げた。   

>このことを聞かれた平氏は「可能性としてというか、技術的にできないか、と言えば(解散は)できますが、解散権とか、それはアンタッチャブルなので、私一応、閣僚なので、ノーコメントということで」と述べるにとどめた。   

>また、総裁選が前倒しとなった場合、石破首相が出馬したら応援するか、との問いには「(石破首相が)出るか出ないか分からないですけど、今、私は石破内閣の閣僚なので、何があっても総理を全力で支えるという立場」と強調した。

 

そうでしょうね。   

 

>さらに、麻生氏が麻生派の研修会で前倒しを求めたことや、鈴木馨祐法相も前倒しを求める表明をしたことも聞かれた。   

>コメンテーターとして出演する立場の平氏は「コメントしにくいニュースばっかり、たまたまぶつかってるんですが」と苦笑しながらも「閣僚(の立場を)を離れて…閣僚はまな板の鯉なので、それがいいか悪いかは言えませんが、イチ自民党議員として言えば、『自民党、出直そう』と言って派閥解消しましょうって、やったわけですよね。でも今、麻生派だけ残っていて、しかも合宿やって派閥の領袖が『オレは署名する』というのは、何かすごい“先祖返り”で、まだ派閥あったの? 合宿やってたの?というのが、感想と言えば感想です」と皮肉を込めた。   

 

そうですね。派閥・合宿は序列人間の処世術ですからね。   

 

>これらの批判を念頭に、カンニング竹山からは、自民党内部が「実際割れている状態なんでしょうか」と質問された。   

>平氏は「私は『派閥は1回、更地にすべき』とずっと言い続けてるので、平がこう言うのは、そりゃそう言うよな、という話で」と説明。

>「一方で自民党って国民政党なので、いろんな考えの人がいるし、政策も右から左までいるし、だからと言って、じゃあつかみ合いのケンカになるかとか、政策の時『お前、あの時ああ言ったよな』というのはない。   

 

日本人は無哲学・能天気ですからね。自己主張はなく、議論にならない。  

議論をすれば喧嘩になるのか、喧嘩をするためには議論が必要なのか。     

外国は‘ため口社会’である。だから、議論ができる。  [ため口: 相手と対等の立場でものをいうこと]  議論は ‘ため口社会’ でないと真価が発揮されませんね。      

 

>その都度その都度、議論してやるので、これを言ったからといって明日から麻生派の人が口を聞いてくれないとか…ご本人は分からない、口を聞いてくれないかもしれませんけど、そういうことはあまりないです」と語った。   

 

日本人には世界観がない。だから、未来社会の内容を人に言って聞かせるほどのものがない。   

 

>竹山が「そういうことがメディアで言えるということが、いろんな人がいますよってことですよね」と納得すると、平氏は「まあ自由な、自由民主党ですよ」と補足した。   

 

自由とは、意思の自由のことである。だが、日本人には意思がない。だから、自由自体にも意味がない。不自由を常と思えば不足なし。日本人の生活は、昔とさして変わらない。   

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数37 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/09/07 01:51
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