>テレ朝NEWS >佐渡金山労働者の追悼式 韓国政府は2年連続で欠席「労働の強制性への言及がない。」 > 新潟の佐渡市で開かれた追悼式典は、去年の世界遺産登録に際しての韓国との合意に基づき亡くなったすべての労働者を対象に開催されたものです。 > ただ、韓国政府は「日本側の追悼の辞に労働の強制性への言及がない」として、2年連続で欠席しています。
日本人には意思がない。意思のない人間には責任もない。責任のない人間には信頼もない。民、信無くば立たず。(政治というものは 民 (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵] だから日本人は政治音痴である。 日本人には意思がない。意思にない人間には加害者意識もない。罪の意識もない。だから罪を知らない子供の様なものである。罪の教えは自虐の教え、自虐史観は認められない。あるのは被害者意識だけである。わが国のどの宗教も罪から距離を置いている。人々には謝罪がないので恨めしさが募るばかりである。日本の化け物も‘恨めしや’と言って出て来る。 韓国にも恨 (はん) がある。 印欧語族には意思がある。意思のある人間には加害者意識があり、罪に意識もある。すべての人は罪びとであるから謝罪・贖罪はまぬかれない。だが地獄に落ちる苦しみだけは避けなければならない。彼らの宗教は天国・極楽を以てその・目的に対応している。地獄さえ避けられれば、それは天国・極楽である。だからそこでの生活内容については詳しく吟味する人はいない。
> 日本政府からは、代表として外務省の岡野結城子国際文化交流審議官が出席しました。 >岡野国際文化交流審議官 >「朝鮮半島から来られた労働者の方々は、戦争という特殊な社会状況下とはいえ過酷な環境の下で困難な労働に従事されました」
善人ばかりの国で善人が悪いことをする。それは出来心 (私意・我儘・身勝手) からである。性善説の国日本。意思がないので大人の顔は天真爛漫としている。 空があんなに青いのも、電信柱が高いのも、郵便ポストの赤いのも、みんなあたしが悪いのよ。 皆が罪びとのキリスト教国。人々には意思があるので罪の意識から逃れられない。謝罪・贖罪はいつまでも続く。大人の顔は後ろめたい顔つきになっている。
> 佐渡市の渡辺市長は式の終了後、「外交は国が責任を持つべきだが、自治体としても韓国の皆さんと分かり合えるよう交流を進めたい」と話しました。 >(「グッド!モーニング」2025年9月14日放送分より)
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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