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2025年09月15日(月) 

 

>朝日新聞   >関東大震災後の虐殺めぐり慰霊祭「暴力と偏見許さない」群馬・藤岡   >朝日新聞社によるストーリー・   >16時間・   

> 1923年9月1日に起きた関東大震災の直後、群馬県内でもデマに惑わされた群衆によって朝鮮人が殺害される「藤岡事件」が起きた。   

>犠牲になった17人を悼む市民慰霊祭が13日、今年も藤岡市の成道寺で営まれた。   

>排外主義の動きが出ているなか、過去の痛みを理解し、未来への教訓にしていくことを誓った。   

 

我々は歴史から学ぶ必要がありますね。罪を語れば自虐史観と見なすのでは困ります。      

 

> 関東大震災の直後、各地で「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった流言飛語が広まり、不安にかられた群衆や自警団などが朝鮮人を虐殺した。   

>県内でも9月5日、藤岡警察署に保護されていた朝鮮人が引きずり出され、日本刀や竹やり、棒や石などで惨殺された。    

> 現場近くの成道寺には慰霊碑がたてられ、長年二つの市民団体が慰霊祭を開いてきた。   

>昨年から一本化され、「藤岡事件を学び伝える会」(秋山博会長)が主催している。   

>今年は約120人が出席した。    

> 地元の藤岡市は事件を風化させず教訓とするため法要への出席を続けており、新井雅博市長の代理として福井保次郎企画部長が追悼のことばを読んだ。   

> 今年は在日本大韓民国民団(民団)群馬県地方本部が初めて慰霊祭に参加。   

>趙武雄団長は「記憶を語り継ぐ責任を共有している。   

>決して暴力や偏見を許さず、対話と相互理解で解決を選び続ける」と誓った。   

> 朝鮮総連群馬県本部の李和雨委員長は「国を奪われ、劣悪な環境と民族差別で苦しめられた同胞が、なぜ殺されなければならなかったのか。    

 

それは日本人の偏見によるものですね。   

 

>幾年(いくとせ)がすぎようとも、亡くなった犠牲者の恨みを忘れることはできません。    

>関東大震災時の朝鮮人犠牲者の尊厳の回復のため最後まで邁進(まいしん)したい」と述べた。

> 日朝友好連帯群馬県民会議の宮川邦雄代表や日朝協会の関原正裕会長も参加した。   

>境内にある慰霊碑の前には、手をあわせる長い列ができた。   

> 秋山会長は慰霊祭後、「排外主義が強まり、歴史修正の危険を感じるが、歴史の事実を伝えたい」と語った。   

>(高木智子)   

>     ◇   

> ■藤岡市の追悼のことば(要旨)    

> 関東地方を襲った未曽有の大震災は、多くの尊い命を奪い、社会全体を混乱と恐怖に陥れました。   

>根拠のない流言飛語が広がり、多くの在日朝鮮人の方々が、一般市民の手によって命を奪われるという、痛ましい事件が各地で発生しました。    

> 大規模災害という極限の状況でおきたこの悲劇は、決して繰り返してはならないものです。   

 

そうですね。深い反省が必要です。      

 

>自らの身を挺(てい)して多くの命を守った人々もいたと伝えられています。   

>その勇気と理性の行動は、混乱の中にあっても人としての誇りを忘れてはならないという強い教訓を示しています。    

> 私たちは、この忌まわしい歴史を正しく記憶し、風化させることなく後世に語り継いでいかなければなりません。   

>災害や困難な状況でも、互いを尊重し、冷静かつ理性的な行動を貫く社会を築くことが重要です。    

> 行政としても、あらゆる災害に備え、人命の保護を最優先とし、正確で迅速な情報発信を行い、市民の安全を守る責務を胸に刻む所存です。   

 

日本人には意思がない。意思のない人間には責任もない。責任のない人間には信頼もない。民、信無くば立たず。(政治というものは 民 (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵] だから日本人は政治音痴である。       

日本人には意思がない。意思にない人間には加害者意識もない。罪の意識もない。だから罪を知らない子供の様なものである。罪の教えは自虐の教えと受け取られ、自虐史観は認められないとしている。あるのは被害者意識だけである。わが国のどの宗教も罪から距離を置いている。人々には謝罪がないので恨めしさが募るばかりである。日本の化け物も‘恨めしや’と言って出て来る。 韓国にも恨 (はん) がある。    

印欧語族には意思がある。意思のある人間には加害者意識があり、罪に意識もある。すべての人は罪びとであるから謝罪・贖罪はまぬかれない。反省も深刻なものになる。だが地獄に落ちる苦しみだけは避けなければならない。彼らの宗教は天国・極楽を用意してその目的に対応している。地獄さえ避けられれば、それは天国・極楽である。だからそこでの生活内容については詳しく吟味する人はいない。   

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数60 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/09/15 04:06
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