>産経新聞 >小泉進次郎氏 靖国参拝は「国のために命を落とした方に、尊敬と感謝の念を捧げるのは当然」 >3時間 >小泉進次郎農林水産相は20日、自民党総裁選出馬を表明した記者会見で、靖国神社参拝について「どの国であっても、その国のために尽くし、命を落とした方に対して、尊敬の念、感謝の念、そして平和への誓い(を捧げる)、これは当然のことではないか」と語った。
そうですね。しかし靖国神社は良くないですね。
>その上で、「総理になったら靖国参拝をどうするのかは、適切に判断していく」と述べるにとどめた。
戦死者に尊敬と感謝の念を捧げるのは総理の責任ですね。 しかし、そのための儀式を宗教家に丸投げする現在のやりかたは良くないですね。 あくまでも宗教界とは関係なく、総理大臣が責任をもって戦死者の慰霊を行うべきですね。 近代国家が宗教戦争をしているという印象は受け入れられませんね。
>小泉氏は終戦の日の8月15日に靖国神社参拝を重ねている。
我が国の日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答を出せる編集者が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。高等教育機関において自己の個人的な見解示せば学位 (博士号など) が得られる。だが、自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく: 世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走に迷走を続けて、いつまでたっても国家目標に到達しない。だから、わが国の政治家は若者にも夢と希望を与えない。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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