外資系企業 |
>共同通信 >「国立大生が外資大きく」参政代表、税金投入に疑問 >共同通信によるストーリー・ >6時間 > 参政党の神谷宗幣代表は19日、仙台市での街頭演説で、国立大学の卒業生が就職先として外資系企業を選びがちだと指摘し、国立大への税金投入の在り方に疑問を呈した。 >「彼らが頑張れば頑張るほど外資が大きくなり、日本企業の売り上げが減る。
外資系企業は国立大生に頑張る機会を与えますからね。日本企業にはそれがない。日本企業には序列制度があるので頑張る機会がない。
>なぜ税金を使ってその流れを助長するのか」と述べた。
我が国の序列制度は税金の無駄遣いを助長していますね。政治家はそれに無関心ですね。
> 憲法が保障する「職業選択の自由」はあるとした上での発言。 >「個人の自由はあるが、政治の目的は国民の暮らしを良くして国力を強めることだ。
そうですね。自由とは意思の自由のことですね。 日本人には意思がない。意思のない人間には責任がない。責任のない人には信用がない。信無くば立たず。(政治というものは 民 (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵]
>その枠の中で国民に選択肢を与えること(が必要)じゃないのか」と持論を展開した。
日本人は序列社会の中に生きる序列人間である。政治による人間解放が必要でしょうね。
江戸時代には生涯変えることのできない身分制度があった。夢も希望もない世の中であった。 明治以降は序列を変えることの可能な学歴社会になった。日本人はあらたな序列 (学歴) に望みを託した。 これは学問に名を借りた序列競争である。学問は個性の産物であるが、人間序列は没個性の産物である。序列競争は個性を破壊する。だから日本人の競争は今も昔も個人主義がなり立たない。 「過去に自分自身、教育熱心な親のせいで不登校になり苦労した。・・・あまりに度が過ぎると子どもがぐれ、・・・罪を犯す・・」戸田佳孝容疑者(43) 序列は序列人間である日本人に生涯付いてまわる。学歴社会に成ってもそれで序列を解消できるわけではない。日本人の序列メンタリィティは日本語文法に根差しているからである。 日本語文法に階称 (言葉遣い) がある。'上と見るか、下と見るか’の人間序列 (hierarchy) の判断は没個性に基づく比較であるから、階称は個性を伸ばす教育の大敵であり、自己実現の妨げになる。 また、礼儀正しい日本人になることも難しい。日本人の礼儀作法は序列作法になっているので日本人の礼儀は倫理道徳が欠けている。
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