先の大戦 |
>産経新聞 >高市早苗氏、村山富市首相に「先の大戦、勝手に謝っては困る」1年生議員のときに追及 >4時間・ >自民党の高市早苗総裁は、衆院議員に初当選した翌年の平成6年10月12日の衆院予算委員会で、当時所属していた自由改革連合を代表して質問に立った。 >村山富市首相に対し、先の大戦について国民的議論がないまま侵略と認定することを批判。 >「勝手に代表して謝ってもらっちゃ困る」と厳しく追及していた。
彼は選挙で公認された我が国の代表ですね。自分勝手ではないですね。
>だが村山氏は翌年、「植民地支配と侵略」への「心からのおわびの気持ち」を表明する首相談話を発表した。 >予算委での主なやり取りは次の通り。 >「どの行為が侵略か」 >高市氏「首相は、7月、9月と2度の所信表明の中で、先の大戦への反省、それから過去の侵略行為や植民地支配といったものに触れ、8月の全国戦没者追悼式では、私たちの過ちによって惨憺(さんたん)たる犠牲を強いられたアジアの隣人たちという言葉を使ったが、具体的にはどの行為を指して侵略行為と考えているのか。 >また、首相の言う過ちとは具体的に何を指すのか、法的な根拠のある過ちだったのかどうかもお答え願う」 >村山氏「私は、侵略的行為や植民地的支配という言葉を使わせていただいたが、やはりあの戦争の中で日本の軍隊が中国本土をどんどんどんどん攻め込んでいった、それから東南アジアのいろいろな国に攻め込んでいった、そういう行為を指して侵略的な行為、こういうふうに申し上げている」 >高市氏「それでは、法的根拠のある過ちということではないか」 >村山氏「法的というのは何法に対して言っているのか、よくちょっと理解できない」 >高市氏「大戦当時は首相も一応若者だったと思うが、国民として侵略行為への参加の自覚があったか」 >村山氏「私は1年間兵隊にいた。 >それで、幸か不幸か、外地に行かずに内地勤務でずっとおったわけだ。 >しかし、あの当時のことを思い起こすと、私もやはりそういう教育を受けたということもあり、そして国のために一生懸命頑張ろうというような気持ちで参加をさせていただいた」 >「英霊にも謝罪を」 >高市氏「つまり、侵略行為への参加という自覚はその当時持っていなかったということなのだが、首相という地位にある人は、50年前の政権の決定を断罪し、その決定による戦争を支えた納税者や尊い命をささげられた人々のしたことを過ちと決める権利があるとお考えか」
過ちはどこにでもあることですね。100年前でも過ちはあるでしょう。
>村山氏「私は、兵役に服して、そして国のために一命をささげて働いてこられたすべての人方に対して誤りだったというようなことは言っていない。 >しかし、これはまあ歴史がそれぞれ評価する問題点もたくさんあるかと思うが、しかし、当時の日本の軍閥なりそういう指導者のやってきたことについては、これは、今から考えると、やはり大きな誤りを犯したのではないかということを言わざるを得ないと私は思う」 >高市氏「今のように、当時の軍閥ということで侵略行為そのものの責任の所在をある程度明らかにされたわけだが、それなら、アジアの人々に対してのみならず侵略行為に加担させられた英霊に対し、また軍恩(連盟)や遺族会の皆さまに対しても、この場で謝罪の意を表明していただけないか」
そうですね。戦死者に対して盛大な追悼を行うべきですね。生きている者は、その責任者ですね。 ‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下) しかし、指導者に騙されたという日本人は多かった。日本人の被害者意識は常に旺盛であった。
>村山氏「だから、私は慰霊祭にも集会にも行って、そして率直に今、国の立場と、国の責任と考えていることを申し上げたわけで、私自身がそういう方々にここで謝罪をしなきゃならぬという立場にあるかどうかというのは、もう少し慎重に考えさせてもらいたいと思う」
日本人には意思がない。加害者意識はなくても、被害者意識だけは旺盛である。謝罪がないから恨みは募るばかりである。わが国では化け物も ‘恨めしやー’ と言って出てくる。
>「謝る権利あるのか」 >高市氏「それにしてはアジアに行かれたとき随分謝罪的な言葉を発し、日本国を代表して謝っているのかと私は感じていたのだが、日本に過ちがあった、過去に過ちがあったと首相が言う。 >その責任は、もちろん過ちがあったとすれば日本国全体が負うものだが、国内的にはそれではその責任の所在というのは誰にあるのか、個人名を挙げてお答えいただきたいと思う」
それは日本人に対する難問ですね。 日本人には意思がない。意思のない人間には責任がない。責任のない人間には信用がない。信無くば立たず。(政治というものは 民 (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵] 日本人には意思がない。だから全員が頼まれ仕事をしている。結果に責任を負う者はいない。兎角この世は無責任の体制である。序列国家であるからトップは存在しても責任観念はない。開戦の詔勅の様なものになる。 たとえば【英対する開戦の詔勅】では 洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ {まことにやむをえざるものあり。あにちんがこころざしならんや。} 開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。 となる。 天皇の意思でなければ一体誰の本意で我が国の意思決定が為されたのでしょうか。
>村山氏「これは誰にあると個人名を一人一人挙げるわけにはいかないが、当時の、軍国主義と言われた日本の国家における当時の指導者は全てやっぱりそういう責任があるのではないかというふうに言わなければならぬと思う」
そうですね。責任のある者は信頼される。そして尊敬される。 だが日本人には意思がない。意思の無い人間には責任がない。だから信頼されることはない。一旦事が起これば、責任者捜しのために騒ぎが起こる。日本残酷物語の様な騒ぎになることもある。 肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。 徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)
>高市氏「その50年前の当時の指導者がしたことを過ちと断定して謝る権利が、現在、50年後にこの国を預かっている村山首相にあるとお考えか」
過ちては改むるに憚る事勿れ。謝るのはこの国の政権担当者の義務でしょうね。国の義務を果たすのは国の長の責任ですね。
>村山氏「私は、今日本の国の首相として、日本の国を代表してアジアの国々に行けば、そういうふうに被害を与えた方々に対しては、大変申しわけなかったと、やはりその反省の気持ちを表すのは当然ではないかと思う。 >それはやはり日本国民全体が反省する問題として私は受けとめて、過ちは繰り返さないようにするというぐらいの決意はしっかり持って、平和を志向していく方向に努力していきたいというような意思も合わせて表明することは、当然ではないかというふうに思っている」
そうですね。日本人は悔い改めることも少ないから、経験からの学習も少ない。
>高市氏「私自身も、アジアの人々、それから先の大戦で犠牲者になられた多くの日本の人々に対して、政治家として、本当に大変なことでしたと、これから前向きにともに過去を反省しながらやっていきましょうという気持ちを表すことには何ら異存はないが、首相自身が日本国を代表して謝る、反省の意を表明するというのは結構なのだが、果たしてそこに至るまでの国民的な議論があったかどうか。
国民は議論ができないでしょうね。日本人は自己の見解を明らかにする教育を受けてこなかった。日本人の主張は現実 (事実) ばかり。非現実 (考え・哲学) がないので日本人は議論をすれば喧嘩になります。
>それから、何をもって侵略行為と言うのか、何が過ちなのか、この辺が明確に見えないと、勝手に代表して謝ってもらっちゃ困ると私は思うわけだ。
日本軍が他国の土地を奪うのは侵略でしょうね。他国にご迷惑が掛かった。それで謝った。
>どうにもその辺が、あまり時間もないのでこれ以上突っ込まないが、私には理解しがたいことだ」
罪のある世界に住む人間は加害者意識に常におびえながら生活しているので、後ろめたそうな大人の顔つきになっている。謝罪により被害者の不満が解消される。過ちに対する原因究明も可能になる。 罪のない世界に住む人間は天真爛漫な顔つきのままでいる。これは子供の顔つきである。反省の色がないので深い原因究明にも至らない。謝罪がないので被害者意識は解消されることがない恨みの世界がある。
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人] 英米流の高等教育機関に席をおいて自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。 イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。 何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
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