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2015年02月07日(土) 





>2015年2月3日、明石康・元国連事務次長(国際文化会館理事長)は日本記者クラブで「戦後70年」と題して記者会見し、「“祈るだけの平和”から“創る平和”に移行しつつあるが、経済や技術・人道協力によるODA(政府開発援助)中心の平和構築が重要だ」と指摘した。また、安倍政権が戦後70年を機に「安倍談話」を出すことを志向していることについて、あくまでも「村山談話」や「河野談話」を基盤とすべきであると強調。その上で、「中国、韓国だけでなく米国なども注視しているので、これらの国々を納得させられるような文言を慎重に選ぶべきで、旧連合国すべてを敵に回す愚を犯さないようにすべきだ」と言明した。



私は、明石氏の意見に賛成である。

我が国は恥の国。あくまでも自分の恥にこだわる。なにはともあれ、汚名をそそごうと懸命になる。

我が国は罪の国ではない。日本人に罪の意識はない。我が国に罪はない。愛国無罪。

たとえてみれば、死刑執行人のようなものである。人は死んでも、彼らは殺人罪に問われることはない。彼らには、殺意が無いからである。彼らは、頼まれ仕事をしていたのである。

日本人には意思がない。意思のない人々は、頼まれ仕事をしている。皆が人・国の役に立つ仕事をしている。悪気はない。だから、自分には責任が無い。自ら意思を表明して民を導く政治家がいない。先の大戦で、この国がひっくり返った時も、責任者は出なかった。とかく、この世は無責任。



我が国は、ドイツのような贖罪の国ではない。民は贖罪の宗教を必要としない。いかなる時にも深刻な反省には至らない。

根っから無心の日本人に罪の文化の習慣の真似事を強制したらどうなるであろうか。'電信柱の高いのも、郵便ポストの赤いのも、みんな私が悪いよ' と言うことになる。これは漫画である。自虐に関する漫画である。本人は苦しむが、意義はない。各民族文化の谷間で、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶことになる。私は貝になりたい。

こうしたメンタリティの違いが、意思のない人たちを知らず知らずのうちに旧連合国すべてを敵に回すことになる。自ら望むことなく、危機に陥る民族である。平和国家を自認する民が泣く。この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ。我が国は、哀しからずや。これは深刻な国難で、過ちは繰り返しますから極めて危険である。はたして、我が国は国際社会の信頼される一員になれるのか。












閲覧数674 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2015/02/07 11:39
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