>自分で物事を考えて答えを出すということができない人というのがいる。>「思考停止」なんて言葉もあるけど、そういう人たちにとって「停止」は動いていた状態からの変化を示す"stop"ではなく、そもそものはじめから思考がスタートしていない場合が多く、最初から思考が働いていない。
そうですね。日本人は、思考をスタートさせるのに苦労していますね。
>そうした人たちに共通するのは、メタ認知ができないこと、抽象的な思考を苦手とすることだとだと思います。
そうですね。日本語は、実況放送・現状報告の内容を伝えるための言語ですからね。
>見たまんまのことしか考えられない。
‘日本語は、写生画の言語’ ともいわれています。
>だから、手法を扱えないし、戦略的な話ができない。
日本人は、言語能力が未発達な子供のような状態におかれていますね。
>そうした人びとは、抽象的な記述や理論的な話題に対する想像力が著しく欠けていて、それが世界の記述であることをイメージできずに、すぐに「具体的な事例がないとわからない」という。
‘見ればわかる’ と言うことでしょうね。それはまた、’見えないものは、信じられない’ ということでもあるのでしょうね。
>それが自分のメタ認知や抽象的思考力の欠如からくる想像力のなさに由来することを考えもせずに、話者や論者の語り方・記述の仕方に問題があるかのように非難しがちです。
そうですね。現実離れした内容では、とても信じられないということでしょうね。
>もちろん、そんな風に相手のせいにばかりしているから、いつまでたってもメタ認知や抽象的思考力は育ってきません。
‘ああでもなければ、こうでもない’ ‘あれではいけない、これではだめだ’ ということになるのでしょうね。
>■調査データが読めない >こうしたメタ認知や抽象的な思考を苦手とする人びとの傾向として典型的なのは、調査データが読めないということでしょうか。
そうですね。実験・観察には不向きな頭の働き方をしていますね。
>「具体的な事例」を欲しがる割に、事実を集めた調査データから思考を働かすことができないというのはまったく奇妙な話です。
‘日の下に新しきものなし’ ですね。思考の余地なしですね。
>結局、欲しいのは事実の一例としての事例ではなく、子供にもわかるような物語ということなのでしょう。
そうですね。ぜひ、面白い話を聞かせて欲しいということでしょうね。
それが事実であるかどうかなんて関係なく、テレビドラマのようにその世界観に没頭できる、それなりのリアリティで語られていればいいということでしょう。>没頭できるということ。
そうですね。おとぎ話のようなものでしょうね。漫画、アニメが良く似合うでしょうね。
>それはつまり自分で考えなくていいということですから。
そうですね。現実の内容は頭の外にある。それは見ることができる。見ればわかる。
>そういう自分たちの身の振り方を決めるような抽象的な思考力がなく、だからこそ、なんでもかんでも他人のノウハウや知識ばかりに頼ろうとするようになってしまいます。
日本人は、現実の世界に生きていますね。だから、処世術を使って生きていますね。他人のノウハウや知識をすぐに役立たせますね。
>他人の指示がなければ動けず、他人の成功事例ばかりを追い求めるようになります。
そうですね。日本人には、意思がない。だから、能動的な動作ができない。それで、受動的な動作をとることになるが、そのためには他人の指示が必要です。
>もちろん、そんなものの先に自分自身の未来なんてないのにも関わらず。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。見ることができない。ただの話である。話の内容を理解するためには、その文章の理解が必要である。 非現実の内容は、時制の或る文章内容になる。時制を使用すると、非現実の世界は、独立した三世界 (過去・現在・未来) になって存在する。これを世界観 (world view) という。 自分自身の未来の内容は、世界観の中の未来の世界にある。 しかし、時制 (tense) というものは、英文法にあって日本語文法の中にはない。だから、日本人は、世界観が持てず自分自身の未来の内容を語ることに難渋しています。 我々日本人も、日本語と英語の両言語を学んで、時制の大切さを学ぶことが必要です、さすれば、自分自身の未来についてもはっきりとしたに内容で語ることができます。 英米人との意思疎通も可能になり、我が国の恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) の状態から、脱却することも可能になります。意思は、未来時制の文章内容だからであります。 日本人が意思を持つようになれば、責任感も出てくる。’とかく、この世は無責任’ の世、さようなら。
(略)
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