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2019年04月15日(月) 

 

 

 

>非常に幼い頃から、日本の子どもたちはベストを目指して競争させられる。>幼稚園、小学校、中学、高校。それぞれの段階は、成功するための最良の教育を受けていると見なされる。

 

そうですね。それは、処世術のための教育なのでしょうね。

 

>詰め込み教育(放課後に長い時間学習する)はそれらのほとんどの段階を占めている。

 

唯一の正解を覚えるための暗記ですね。ほかに考えることもないですからね。ご唱和の世界を目指して努力します。

 

>最終目標は最良の大学に入学することで、そのときすべてが変わる。

 

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)

 

>学校がすべてだった数年間の後は、ついに自分の人生を謳歌し、がむしゃらに勉強する必要はなくなる。>日本の教育の目標は未来の日本を創造することであり、この点から言ってこのシステムは実によく成功している。

 

未来の創造は無理ですね。日本人には、現実しかない。未来の内容は非現実であり、常に日本人の想定外になっています。

 

>日本の学生が18歳となったとき、彼らは真の日本人は日本語以外話せないということに強い確信をもつようになる。>nihonjinron(日本人論)や日本人のユニークさに完全にくるまれ、日本国外の事柄を無視し、彼らの今後50年の生活のためにどうすればよいか完全に精通し、ほとんどすべての認識の技術を欠き、外国人恐怖症となり、目立たず、出る杭にならないよう精神的に完全に訓練されている。>日本の教育システムでは、いかに日本人となるかが第一のゴールとなる。>ときが経つにつれ、若者はより保守的になっていった。

 

完全に島国根性の人となるのですね。

 

>外国に対する興味は驚くほど欠如しており、ロボットとなる以外のいかなる望みも持たない。>これはインターネットの情報に簡単にアクセスでき、旅行費用は安く、大部分の日本人が裕福であることを考えると不思議なことである。

 

日本人には、意思がない。だから、能動的な行動がとれない。それで、言われたままに行動するか、他に追従しているしかない。

 

>実際にはほとんど学習が行われない――生徒たちは、成功に必要な批判思考(クリティカル・シンキング)の精神をほとんど与えられない。

 

現実の内容は、頭の外にある。それは、見ることができる。見ればわかる。

非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話に過ぎない。話の筋がわかる為には、その文章の理解が必要です。

非現実 (考え) の内容は、時制 (tense) のある文章になる。時制のある文章内容は、独立した三世界 (過去・現在・未来) を表すことができる。この内容は、世界観 (world view) と呼ばれている。

世界観を持っている人間は、その内容が判断の基準となるので、現実の状況に左右されることが少ない。それで、相手の信頼を得ることができる。

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)

 

>日本の教育制度は、ほとんどの人が高卒で工場で働くような時代にデザインされたものだ。>この種の教育は、大量生産と大量消費が経済の原動力となるような工業化された社会ではよく機能する。

 

そうですね。人手不足を解消するための手段ですね。

 

>しかし、世界は変化している。>アイデアのクオリティや、問題解決の創造的な能力が経済世界や個人の成功を決定するようなポスト消費者主義社会へと。

 

そうですね。

非現実の内容を現実の世において実現できれば、それは創造である。

現実の内容を現実の世に再現すれば、それは模倣したことになる。

特亜三国の人々 (日本人・中国人・韓国人) は、創造することが苦手で、模倣が得意である。模倣の競争は、とかく過酷なものになりがちである。

 

>いくつかの国はこのことを学習したが、日本は明らかに理解が遅く、さらに教育世界がこの現実に適応するのはさらに遅い。>日本経済が減退していることのいくらかはこれによって説明できる。

 

そうですね。日本人は、無哲学・能天気ですからね。’あるべき姿’ に関する考察がありません。

 

>教育問題と社会問題を混同しているかもしれないが――日本の教育システムの失敗を世界発展の観点から見ると――創造性の欠如、独創性の欠如、グローバルな領域で交流が不可能であること、世界の仕組みに関する部族的な理念(石器時代のようだ)、意思決定や方向決定に対する無能性や無意思、完全な受動性が存在する。

 

そうですね。教育の失敗は、日本語の文法に時制 (tense) のないことと関係がありそうですね。

 

>特筆すべきは筆記形式の入学試験である。>このことが日本教育について何を語るだろうか。>これは学生たちに次の段階の教育へ橋渡しするために、十分な装置なのだろうか。

 

学生たちの考えが疎かであっては、せっかくの筆記試験も水の泡ですね。

 

>この国の塾Jukuの必要性について対処してはどうか――だいたい、なぜ子どもたちは魂を破壊するようなところへ行かなければならないのだ。

 

日本人は、同次元序列の競争しか知らない。同次元を広めることは、公明正大であることの証であると信じられている。それしかない。個性のなさを嘆くことはさらさら無い。

 

>学校における画一的な教育についても対処する必要がある――言いかえれば、批判精神の欠如や問題解決能力が行われていないことに対処すべきだ。

 

そうですね。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. ところが、日本人には意思がない。だから、問題解決の意思もなければ能力もない。

 

>現在の教育システムは、標準試験の要求に向けてすべてが調整されている。 

 

そうですね。相変わらずの没個性の仕来りですね。

我々日本人は、日本語と英語の両言語を熱心に学んで時制の大切さを良く理解して、意思の表明技術を獲得して国際社会に出なくてはなりませんね。さすれば、人類の進歩に貢献できます。

 

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閲覧数12 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/04/15 01:32
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