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2019年04月15日(月) 

 

 

>(前段略)

>この「日本は IQ が世界で最も高い」ということを、もう少し前向きにとらえてもいいのかもしれないとも思いました。

 

IQとは、何ですかね。

 

>というのも、これからの時代は、本当に考えなければならない時代が長く続くと予想されるからです。

 

そうですね。我々は、’考える人’ になる必要がありますね。

 

>日本はもとより、世界のどんな人たちも、賢明に考えないと生き残ることさえ難しくなるような時代が来ないとも限らないです。

 

各人に哲学が必要ですね。Everyone needs a philosophy.

 

>少子超高齢化をひとつとっても「どうする?」と言われて、すぐに解決するようなことではない……。>身体や精神疾患の増大も「どうする」と言われて、すぐに解決する問題ではない……。 >環境の崩壊も「どうする」と言われて、すぐに解決する問題ではない……。 >日本の負債ひとつとっても、「どうするべ」と方言で聞かれても解決は難しい。

 

本当に難しい問題ばかりですね。

 

>今後の社会は、ものすごく考えていかなければ、数十年後には、私たちは存在しないかもしれないです。

 

思考停止の人間には、答えが出ないでしょうね。

 

>いや、主要国はわりと同じような問題を持っているはずで、みんなが考えなければ生き残ることができない時代となっていきます。

 

有能な指導者が出ればよいのですがね。

 

>そのような中で、本当は私たち日本人は今よりもっと「知能を使える民族」なのだと認識しながら、なぜ、「最近の日本人はそんなふうな民族に見えなくなってしまったのか」ということを考える機会なのかもしれないです。

 

考える機会は、いくらでもありますね。ただ、その答えを出す人がいないのです。

 

>これからの社会や世界を生きるためには、特に私たち日本人は考えなければならないことが山ほどあるわけですから、私たちは、ここでむしろ「私たち日本人は本来こんなに賢明な民族なのだ」と開き直りながら先に進むのも悪くないのかもしれません。

 

日本人は、昔から無哲学・能天気ですからね。先に進むことはできませんね。賢明・賢明と根拠もなく言いすぎるのではありませんか。

 

>たとえば、大げさな言い方かもしれないですが、これが天のようなものから与えられた天賦的なものなのだとすれば、それを自由に開花させていない状態は、何だか残念な気がします。

 

そうですね。残念至極ですね。

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。

矛盾を含んでいない文章は、全て正しい考えを示している。だから、正解は、一つではない。考えは、人さまざまである。正解は、いくらでもある。

矛盾を含んでいる文章も、その矛盾を取り除けば、正しい考えになる。だから、議論・対話を通して考えを正しくすることもできる。対話術の活用も必要である。

 

>現在の「やや抑圧と不自由と不寛容が突出している時代」が、今後少しでもそうではない方向へと変化していけば、未来の日本人はきっと、このような知性を金儲けとか物質社会の肥大の方向だけではないものにも向けられるような気がします。>そうすれば、多くの日本人が本来持っているこの知性が、社会と地球に対して大変に素晴らしい働きをする時代が来ると思いたいです。

 

それは、タラレバの話ですね。他力本願・神頼みに終始していますね。残念な気がします。

意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には、意思がない。仕方がないから、無為無策でいる。

意思は、未来時制の文章内容として表される。ところが、日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。優柔不断・意志薄弱に見えるので、精神修行の必要性を感じざるを無い。

通常の方法に従って武芸を通した鍛錬により動作は機敏になるのだが、知的な能力は一向に上がらない。だから、依然として無哲学・能天気のままである。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。プラトンの対話篇から、例として『クリトン』をあげてみよう。この対話は、明日の死刑執行を前にして、夜明けに、獄中のソクラテスをクリトンがたずねて、脱獄をすすめるところからはじまる。もちろんソクラテスは寝ている。だがどう読んでみても、ソクラテスが起き上がって、威儀を正して、法の遵守を説いて、クリトンに反論したとは思えない。ソクラテスは、おそらく最後まで寝っころがったままで話しているのだ。従って、この場合、純粋に、ソクラテスの言った言葉 (ロゴス) だけが問題なので、彼の態度や語調は全く問題にされないのである。日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)

 

 

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閲覧数11 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/04/15 09:51
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