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2019年05月02日(木) 

 

 

(略)

>しかし、本来一番大切なのは、自分で問題を見出し、自分で先生や教科書を探し出すことである。>それが本当の勉強であるはずである。>なにもかも用意されていたのでは勉強にならない。

 

そうですね。

 

>学校では、何でもかんでも、予め決めておいて、その決められた事に従って行動する事を要求する。>これでは、変な話、決められた事以外、決められなくなっている。>決められた事を決められたように決めるというのは、自分の意志の働きが効かない。

 

全てにわたっておぜん立てがなされているのですね。

 

>自分の意志で決めたのでなければ、決断したことにはならない。>だから、決められた事を決められたように決めるのでは、決断したことにはならない。

 

そうですね。指導者に従って演技をしているだけですね。

 

>食事に行っても自分が食べるものを決められない人によく出逢う。>皆が食べるものにする。>同じ物で、同じ事でないと決められない。

 

そういうことが多いですね。

 

>ブランドが流行るのも同じ心理が働いているように思える。>ブランドは、本来、希少性に価値があるというのにである。

 

‘人の振り見て、我が振り直せ’ ですね。希少価値がない。

 

>結婚でも、既成事実を作ってから、後付の理由で決断する。>既成事実を作れる者は、まだいい。>既成事実を作れぬ者は、夢想する。>夢想の中で決断する。>しかし、目が覚めれば何も変わっていない。

 

残念ですね。

 

>要するに、決断したのか、しないのか曖昧なままにしておいて、結論を先送りにする。

 

意思決定のできない人は、積み残しと先送りになりますね。

 

>それでおいて既成事実を積み上げていき、あたかも決断をしたかのよう錯覚をしているのである。

 

既成事実の追認が自分の決断ということになりますね。

 

>たが、振り返ってみると何も決めていない。

 

ただ、現実に流されているだけですね。

 

>少なくとも、自分の意志、意識の上では決断をしていない。

 

日本人には、意思がない。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。

 

>だらから、責任もない。

 

意思のない人には、責任がない。ちょうど死刑執行人のようなもので、人は死んでも彼等は殺人罪に問われない。彼らには、殺意というものがないからである。

 

>責任がないというより、責任をとれない。

 

説明責任がとれない。

 

>自分に責任がないと思うから、人の性にする。

 

意思のない人には、加害者意識がない。あるのは、被害者意識のみである。恨めしい世の中に住んでいる。

 

>人の性にするから反省もしない。>これは、何も学んでいないのと同じである。>決断できない者は、何も学べないのである。

 

そうですね。加害者意識のある者は、深い反省に至ることがある。ドイツ人のようなものである。意思の無い人間は、’安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから’ と歌を詠む。

 

>優柔不断で、煮え切らない者は、何も学べない。

 

優柔不断・意志薄弱で困っているのは、日本人である。

 

>学ぶためには、決断力を養わなければならないのである。>この様な決断力は、教科書からは学べないのである。>しかも、学ぶためには、追いつめられてする決断ではなく、前向きな決断が重要なのである。>決断しなければならない環境や状況だから決断すると言った受け身の決断では、主体的な意志の力が働かない。

 

そうですね。

 

>それは、決断するのではなく、決断させられたのである。>主体的な意志の力が働かない限り、責任感もわかない。

 

そうですね。だが、日本人には意思がない。意思決定に難渋している。

 

>それでは何も学べないのである。>決めてから考える。>考えたら決められない。

 

そんなことは無いでしょう。決められないから、考えている。

 

>学校では、よく考えてから決めなさいという。>単刀直入に決めて、行動に移すとわざわざ、やっていることを中断して再考させることまでする。

 

考えることも必要ですね。

 

>これでは、決断力が鈍る。>先ず決断をする。>決断をした上で考える。

 

それでは、意思決定にはならないで、恣意決定になるでしょう。アニマルと同じですね。

 

>そうすれば、修正も変更も訂正もできる。>辞めることだって、やり直すこともできる。

 

軽挙妄動ではありませんか。

 

>決断をしなければ、修正も変更も訂正もできない。>何も決めていないのだから、辞めることも、やり直すこともできない。

 

それは、そうですね。

 

>そして、決断したら行動に移す。

 

決断するまでが、大切ですね。

 

>はじめは、失敗をするかも知れない。 >しかし、その失敗から多くのことを学ぶことが出きる。 >そこから学んで、次に決断をする時に生かす。

 

学習ですね。

 

>決断し、実践して、反省をし、学んでまた、決断をする。>この繰り返しが学ぶことである。

 

決断の前に考えが必要ですね。

 

>決断をしなければ学ぶことはできない。>失敗をしなければ、学ぶことはできない。

 

やってみなければ分からない事ばかりではないでしょう。

 

>学習とは、決断にはじまる一連のプロセス、過程なのである。>決断をすれば、自らの行動に責任を持たなければならない。

 

そうですね。

 

(略)

>決断力は、なるべく早い時期から訓練をする必要がある。>小さい頃から、自分の事は、極力、自分で決めさせる。

 

それは、良いことですね。

 

>家族内の重大な問題や決定には、なるべく早い時期から相談をし、決定に加える。>そうやって家族の一員であることを自覚させ、責任感を養うのである。

 

それは、良いことですね。

 

(略)

 

 

.

 

 

 

 

 


閲覧数331 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/05/02 04:59
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