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2019年05月03日(金) 

 

 

>最近、引きこもりやニート、フリーターといった、社会に出られない若者が増えている。>また、いつまでも結婚できない若者達も増えている。>この原因は、決断力の不足にあることが考えられる。

 

日本人には、意思がない。だから、優柔不断・意志薄弱に見える。意思決定に難渋している。

 

>大体、決断力というのは、訓練しなくとも身に付くと思っている人が多い。>しかし、決断力は、訓練しないと身に付かない。

 

決断力には、意思決定と恣意決定がありますからね。意思 (will) は慎重に決断する。恣意 (self-will) は即座に決断する。日本人には、意思はないが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。

意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがなく、日本語の脳裏には未来時制がない。だから、日本人には意思がない。だが、恣意はある。

意思は、バラバラな単語 (小言・片言・独り言) のままで存在し文章にならない。だから、意味も無い。

 

>そして、今日の学校教育で、最も欠けているのが、この決断力の訓練である。 >決断は、決して断じることである。 >一瞬にできる。>瞬時のことである。>だから、閃きのようなものである。>故に、決断は、感情が触発するのである。>気合いである。

 

それは、恣意決定の方ですね。

 

>決断は、抜刀する気合いでするのである。>決断力というのは、ある程度早い時期から養成しなければ、磨かれない。

 

日本人の優柔不断・意志薄弱を見れば、意思の補強を思い付かない訳にはゆかない。日本人には、意思がないから恣意を利用する。武芸の稽古を通して、動作の機敏性を養う。恣意を鍛えて、意地・根性・大和魂とする。

 

>一日や二日で身に付くような能力ではないのである。

 

そうですね。習うより慣れろ。Practice makes perfect. 

 

>判断は、他人の意見を聞いて、決断は、自分の意志で行うものである。>その為には、自己が確立されていなければならない。

 

動作は機敏になるが、リーズナブルな判断は無理でしょうね。

 

>善悪の判断ができない者、つまりは、善悪の価値基準のない者は、決断できない。 >確かに、道徳心のない者でも、一見行動的に見える者もいる。 >しかし、その行動の源は、決断ではなく、衝動である。

 

そうですね。アニマルと同じですね。

 

>衝動による行動と、決断による行動とは、本質が違う。>何よりも、衝動的な行動は、自己を制御・抑制することができない。 

 

そうですね。恣意には、意味がない。だから、否定することもできない。やむに已まれぬ大和魂かな。

 

>本来は、人の意見を聞いて判断をし、自分の意志で決断しなければならないのに、自己が確立されていない者は、人の意見を聞くと判断できなくなり、自分の意志で決められなくなる。

 

受け売り専門の体質ですね。

 

>これでは、本末転倒である。

 

そうですね。

 

>倫理観や価値基準というのは、絶対的な基準である。>この絶対的基準という物を現代人、特に学校では、全面的に否定している。

 

その内容は、個人の自由でしょうね。

 

>しかし、倫理観が相対的基準では、困る。

 

そうですね。本当に困りますね。つかみどころがない。

 

>状況や相手によって道徳や倫理観を変えることになる。>だから、倫理観や価値観というのは、本来普遍的、絶対的基準であるべきなのである。

 

そうですね。‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)

これは、受け売り専門の民族の悲しみですね。民信無くば立たたず。

 

>故に、かつて人々は、道徳と現実との間で苦しんだ。

 

今日でも、それは変わらないでしょう。

非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。見ることができない。ただの話である。話を理解するには、その文章内容を理解しなくてはならない。これには、頭を使う必要がある。

現実の内容は、頭の外にある。見ることができる。見ればわかる。考える必要は無い。

現実と非現実の内容は、お互いに所在が違う。だから、内容も同じにはならない。現実と非現実の中間の適当な点 (中庸の徳) を定めるのに人々は常に腐心しています。

 

しかし、現代人の苦悩は、質が違う。倫理観や価値観が絶対的普遍的でないが故に苦しんでいるのである。つまり、自分の人生のアィデンティティ、自己の一体性、一体感が失われたから苦しいのである。

 

‘無哲学・能天気’ 故の苦しみですね。

 

>そして、これは、現代人の決断力に決定的な打撃を与えた。>つまり、決断力を喪失させてしまったのである。

 

無意志と無哲学の苦しみですね。時制のある考え方を獲得すれば、この苦しみは克服可能ですね。

我々日本人は、日本語と英語を共によく学び、時制の大切さを十分に理解するとともに、意思と世界観の表現方法を獲得して英米人の信頼を得るように努力しましょう。

 

>価値基準に基づかなければ、決断には成らないのである。>明確な意志決定の基準を失ってしまったのである。

 

日本人には、哲学がないから価値基準もない。意思がない。だから意思決定も難しい。

 

>そして、人の行動を現象的に捉えようとするようになった。

 

山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、絶対化について述べています。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と述べています。

 

(略)

 

 

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閲覧数436 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/05/03 10:18
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