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2019年11月22日(金) 

壱岐島は九州と対馬の間にある九州北部の島で、魏志倭人伝にも出てくるほど古くから知られた島だそうです。イキという読み方も知りませんでしたが弥生時代や古墳時代の遺跡も多く、海も綺麗そうなのでツア-に参加しました。

 

11/14新大阪から新幹線で博多まで、博多港からジェットフォイルという水中翼船で約1時間かけて島の東部の芦辺港に着きます。島までには途中に意外と小島が多くあって、離れた孤島という印象はありませんでした。島の広さは約140K㎡、人口1.4万。島の中は観光バスで移動しました。

 

最初に訪れたのは明治時代まで山全体がご神体となっていて、200体以上の猿の石像が奉納されている男嶽神社でした。小さい石像が主体でした。

 

 

 

再度の元寇に攻められた慰霊碑を横目に見て、島の西端には東洋一の砲台跡がありました。実弾を一回も使用しなかった太平洋戦争の遺産です。砲身は熔かされてしまったそうです。

 

 

 

半島の先端には高さ45mの海蝕崖の玄武岩で、壱岐のシンボルである猿の形をした岩がありました。少し周囲を回ると猿の形は無くなって単なる岩塔になります。

 

 

 

4/15 ホテルに隣接して「春一番の発祥地」の塔がありました。説明碑によると1859年2月に海が突然荒れて53名の島の漁民が遭難されたそうです。「春一番」と詠んで島の言い伝えになっていたのを季語として本土に紹介され、歌謡曲にも使われて有名になったそうです。

 

神道発祥の地としているのは「月讀(つきよみ)神社。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が天照大御神の次に産んだ月読命(つくよみのみこと)をお祀りしている神社だそうです。

 

 

 

壱岐の蔵酒造を見学してから左京鼻へ。一面芝生に覆われたなだらかな草原と海中から伸びる奇岩は壱岐随一の景勝地です。

 

 

お腹に穴の開いたお地蔵様は「はらほげ地蔵」。満潮時には水没してしまうが、干潮時には側まで行ってお参りできるそうです。何時、誰が何のため創ったのかは不明です。

 

 

 

島の至る所にある神社の中でメディアの大注目のパワ-スポットが小島神社。干潮時に参道が現れるので、我々は海に浮かぶ島だけしか見られませんでした。

 

 

弥生時代の環濠集落の跡地は「原の辻遺跡」。地域ガイドの説明が丁寧でした。「魏志」倭人伝に記された「一支国(いきこく)」の王都に特定された遺跡。日本最古の船着き場や居住跡などが発掘されています。

 

 

 

壱岐島内がみわたせる展望台が「岳の辻展望台」で標高が212.8m、九州本土や対馬島を見ることができます。壱岐島にはこれ以上の高い山はなく、平野の多い島でした。

 

 

この季節、大阪では紅葉が始まっていましたが壱岐島では秋の気配は見られませんでした。

緯度から見ると和歌山と同じくらいですが温暖な対馬海流も原因しているのでしょうか。

 

帰路は郷ノ浦港からジェットフォイルで。宣伝文句の「玄界灘に浮かぶ食の宝庫 壱岐7つの絶品グルメをたらふく食す2日間」はお勧めできませんが景色は愉しめました。

 


閲覧数457 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2019/11/22 20:46
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