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2020年05月21日(木) 

 

 

>353180 指示待ち人間はこうして自ら動く人材に成長する

>直永亮明 ( 24 会社員 )  20/01/27 PM08 【印刷用へ】 

>自考し動く人へ! > 指示待ちでは仕事も楽しくありません。> 自らが追求し、仕事をしていくほうが何倍も楽しいです。

 

そうですね。それができれば苦労はない。

 

> 指示待ちから→自ら動くへ ・・・  >以下リンク

>------------------------------------------------------------

>僕は、指示待ち人間が自ら考え行動するようになる場面を何度も見てきました。> 「この人は無理だろう」と思っていた人が自発的に行動し、仕事を心から愉しむようになる場面を。

 

それは、恣意 (私意・我儘・身勝手) による行動でしようね。 意思による行動は無理でしょう。

 

> 彼らの観察は今の指示ゼロ経営の知見の基礎になっているし、どの社員も育つという自信に繋がりました。> 環境さえ整えば誰もが自発性の高い人材に育つ、環境次第…そう考えています。

 

それはあるでしょうね。それはアニマルにも共通することでしょうね。

 

>では、その環境とはどんなものなのでしょうか?

>■人は自分の意思でのみ変わる

>彼らの変化を見た時に、一番最初に来る変化は「内面」です。 > 「馬を水辺に連れていけても、水を飲ませることはできない」というように、本人の決断でしか成長しないと思います。 

 

本人が意を決する必要があるのですね。

 

> 「自発的に動いてみようか?」という小さな決断を誘発するのは仲間の姿です。

 

日本人には意思がない。だから、行動は、’事の次第・成り行き’ により決まります。これは、アニマルも同じです。 フランク・ギブニー (Frank Gibney)  氏の著書 <人は城、人は石垣> には、日本人の意思決定に関して次のようなことが書かれています。

 

 ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。  ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日) (引用終り)

 

> 社長、上司の影響力では少ない。 > 他人の説得で行った決断は弱いです。 >どんな会社でも、どんな社員さんでも、仲間の行動から勇気をもらうことは頻繁に起きているはずです。

 

そういう事になりますね。

 

>ただ、そこで起きた少しの決断が次の行動、最初の一歩に繋がらなかっただけです。

>■失敗しても挑戦しよう!と宣言をする

>決断を行動に繋げるには、組織として失敗を許す風土が必要だと思います。

 

それはどうですかね。失敗にもいろいろありますからね。先の大戦のような失敗もあることですし。

 

> 「失敗は許されない」なら挑戦しない方が利口ですからね。

 

そうですね。挑戦の前には十分な議論が必要ですね。

 

> 明確に宣言することが必要だと考えます。 >しかし、それでテキトーな仕事をされたらたまったもんじゃありません。 > 挑戦する自由とともに、仮に失敗したとしても、その結果を検証し次に活かす責任があります。

 

そうですね。自由とは、’意思の自由’ の事である。

日本人には意思 (will) がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思がないのであれば、’意思の自由’ にも意味がない。だから、’不自由を常と思えば不足なし’ である。

意思の無い人には責任もない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには、殺意というものがないからである。 

 イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の ‘責任’ について次のように述べられています。

、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。 、、、、 (引用終り) 

意思の無い日本人にも恣意 (私意・我儘・身勝手) はある。意思の疎通 (相互理解) は無いが恣意の疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) はある。意思に関する議論は無いが恣意に関する談合 (腹の探り合い) がある。意思の決定 (理性判断) は無いが、恣意の決定 (盲目の判断) はある。失敗してもリーズン (理性・理由・適当) がないから、責任者は説明責任がとれない。結果の検証も無く、次回の挑戦に生かすことも不可能である。この国がひっくり返った時にも責任者は出なかった。とかくこの世は無責任である。

 

> 自由と責任がセットになり初めて宣言できるのだと思います。

 

そうですね。意思の自由がなければ責任も取れないですね。

 

 

.

 

 

 

 

 


閲覧数10 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2020/05/21 22:09
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