> 会社で貯めたポイントは社内、あるいは、せいぜい自分の働いている業界内でしか通用しないものです。> ちなみに、こうした勘違いは政治家、医師、弁護士、あるいは大学教員といった職業でさらにひどくなる危険性があります。
ポイントは全能ではありませんね。意思の無い人たちの責任は苦役そのものになる。だが、西洋流の責任 (responsibility) のない日本では、国がひっくり返った時にも責任者は出なかった。 日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。 意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく) 日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。 意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。 ‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り) ‘兎角、この世 (日本人の社会) は無責任’ という事か。日本人の世の中には偉い人はいっぱいいるが、全ては責任のない人たちばかりである。 自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。連携動作がなく孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない。
>自分が働いている業界の外でも「先生」と呼ばれるからです。
責任感を持たない人々の上下感の乱発ですね。政治音痴の根源ともなっていますね。先生と言われるほどのバカでなし。
>注意する必要があるのは、範囲は広がっていたとしても、あくまで職業の領域において通用する肩書きだということです。>「先生」だからといって、どのような場面でも偉そうにしていていいわけではありません。
そうですね。序列系列の違いがありますね。 世俗の責任体制のないところに、ただ上下感のだけが蔓延するのが間違いの元です。 GAFMは、自由貿易協定により国境を乗り越えてやってくる。しかし、彼らは精神の障壁を乗り越えることはできない。我々は精神の開国にも努力する必要があるでしょう.。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
(略) >自分が人生で何を大切にしたいのかについて、ぜひこの年末年始で考えてみてください。 >そうした思索がみなさんの2021年以降の生活を明るくするものだと信じています。 >-------------------------------
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