> 今は違う。 >知りたいことがあるから質問するのだ。 >「この人は何でこんなことを言っているんだろう?」「この話を通じて我々にどうして欲しいんだろう?」と相手の話す真意を真剣に読みにいくようになったのだ。
見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の頭の中にある非現実の内容は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。これは人とアニマルが共有する非言語の世界である。人間の非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を逐一理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。理解は人間だけが持つ言語の世界である。 ‘なれ合い’ とか‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませることである。 理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。思慮ある人は ’現実直視をしてその解釈をあれこれと吟味するが、凡人は ‘期待したもの’ しか見ようとしない。
> どこかで思考のツボにはまり聞き落す部分がでてくるから、質問に対して「それはさっき説明したでしょ」なんて言われることもあるが、もうへっちゃらになった。>知りたいことがあるから質問し、知りたいことを知れば、それが自らの言動に紐づいていく。
我が国ではそれを厚顔というのですかね。
>■ 「質問のプロ」の作法 > グローバル企業に勤めて一番驚いたのは、エグゼクティブたちが実に自然に部下たちに質問をし続ける姿勢だった。 > 立場の高い地域ヘッドが「俺はアジアに来てまだ数年だ。 >あなたから聞きたいことはたくさんある」とひたすら質問する。 >時には世界のトップを招いても、彼もまた質問から始める。
世界企業の責任者は情報収集に長けていますね。わが国は先の大戦においても米国に情報戦で敗れました。
>気が付くと日本人のエグゼクティブが一方的に話し続けていることも少なくなかった。
我が国の責任者は説教型ですね。 ‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク) 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン) ‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官) 変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。
> 見識の高い世界的トップは、その知識を披歴するよりも、質問を重視する。>彼らは「もっと変化の様子を知りたい」「知って経営に役立てたい」と極めて純粋なのだ。>また、質問を通じた双方向のやりとりが、互いの理解を深める効果の大きさも分かっている。
そうですね。対話の効用を理解しているのですね。
> 質問する姿勢のもたらすパワーは日本人も同じだ。>私の知り合いのIT企業経営者は、かつて大企業に勤め始めて数年後の20代半ばの頃、自分が意見を発信しても物事が変わらないことに業を煮やし、「なぜ自分の意見は採用されないのか?」と上司に質問したそうだ。> すると「企画提案はもう少し偉くなってからやれ」と言われてしまったらしい。
偉くない人は企画の提案には関係ないですね。
>普通ならここであきらめるところだが、彼はその足で人事部に向かい、「自分はどうしたらもっと偉くなれるのか?」と質問した。>その答えに納得がいかなかったことが、独立のエネルギーに繋がったのだ。
自主独立の精神が大切ですね。これはアメリカ建国の精神ですね。
>■ 才能とは、「知りたい気持ち」を持ち続けること > イノベーションや変革の多くは、何か特別な才能を必要とするわけではなく、「知りたい!」「成長したい!」「進化したい!」という純粋な思いから生まれるもの。
そうですね。何よりも率直さが大切ですね。
.
|