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2021年07月14日(水) 

 

 

>350826        上からの教育(学校)は、国家が与える宗教と同じで、支配体制を強化するために作られた。

>山田真寛       19/11/05 PM00 【印刷用へ】

>学校は役に立たないだけでなく、特権階級が主導する支配体制(それは、古代の力による支配と地続き)を強化するための道具に過ぎないのではないか。 

 

日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。 (ウスビ・サコ)  

 

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。戦時中は玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)   

 

>古代、乾燥→飢餓により私権闘争が始まり、勝者が敗者の生殺与奪を握る「支配体制」が始まった。 >この時代の「支配」とはわかりやすい。 >勝者のいうことを聞かねば生きていけない、支配である。  

 

そうですね。弱肉強食の世界ですね。アニマルにも分かりやすいですね。    

 

>しかし、そのような状態は、抵抗も大きく勝者側にも負担が大きい。>それで、敗者にも私権(土地など)というアメを分け与えていくことで、戦争しないでも支配できる体制、身分序列の体制が作られた。 

 

強者からの懐柔政策ですね。 

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。   

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。これは序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

>集団秩序や規範への収束も働いているので事を分かりにくくしているが、あくまで勝者が甘い汁を吸う「体制」を強化している。  

 

そうですね。下の者ほど割が悪いですね。       

 

>さらに、大衆からも支持を得るため次に利用されたアメが、下層階級のよりどころだった「宗教」である。 >当初、国家は脅威を感じ弾圧していたが、その後国家宗教として取り込んでいる。 >ここでも、人々の求めるものを利用しつつ、支配者に都合のよい体制を磐石なものにいている。>(農奴に心の平安は与えるが、吸い上げる対象のまま固定。)   

 

政治よりも宗教ですね。   

 

>さて、学校教育が始まる1800年頃は、市場社会も深化し、産業革命を経て科学技術も進み、それらに対する期待から、キリスト教にかわる新しい認識や世界観を人々が一層求めていた時代である。>日本でも寺子屋に見られるように、江戸の市場社会が進展したのに対応して新しい認識が強く求められていた時代である。  

 

読み書き算盤の教育ですね。    

 

>そのような人々の欠乏を利用しつつ、支配体制を強化するために作られたのが、上からの教育(学校)である。  

 

教育は支配体制の手段となりますね。   

 

>人々の期待に応えると見せつつも、実態は工業社会の歯車としてしたてることが大きな目的であった。  

 

思考停止の人間には工業社会の歯車は適職だったようですね。サラリーマンになって現金が手に入り職人の生活が安定しました。    

 

>このように、武力支配→身分序列支配→宗教共認支配→学校共認支配、の流れの中で捉えると、上から教える教育(学校)というものの性格がよく分かる。

 

朕は国家である。国家を愛して朕を愛せ。さすれば朕も国家も安泰である。民よ喜べ末永く。権威主義の国々では今も昔も変わらない。    

   

 勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ(ヘルマン・ゲーリング)。    

 

>どの段階でも、人々の欠乏を利用しつつ、根本的なところでは、支配者の都合のいいように体制を強化するためにあったのではないか。>(現代のマスコミも同様である)。  

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

 

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

>しかも手口はどんどん巧妙になってきている。 

 

売文の徒は程度がよくない。   

 

>「支配」を古い見方から更新できず、マスコミ、学校による「支配」を見抜けないと、日本と言えども、じわじわとみんなの生活は苦しくなっていく。 

 

そうですね。  

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。閉塞感がある。無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。

非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。日本人がともすれば異口同音の内容を語るのはこのためである。      

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。個人の価値判断が抜け落ちている。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、日本人は個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。    

 

>(国全体でアメリカに貢物をさせられている。) >マスコミ、学校による思考支配からの脱却が焦点である。 

 

大和民族の思考停止がやまらないと思考支配もやまらないでしょうね。  

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)       

 

 

 

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閲覧数17 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/07/14 14:10
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